美夏とシンシア

元はといえば,僕が天枷美夏について話したこと*1に対して,水姫がシンシアの話*2で返したことに端を発する.ロボットが人間の代用ではないという点を共通の事項としてシンシアの話が出てきたのだと思うが,こうしたことがシャンクによると会話を理解することの範疇にはいる.一方,僕自身もなぜ美夏のあのエピソードが面白いのかそれほど明らかではなかったが,水姫の話を聞いて改めて,ロボットが人間の代用でない点よりも,そのことをロボット自身が主張しているところを面白く感じていたのだと判った.もちろん僕も僕の話の聞き手となりうる.このことを僕の話としてうまく伝えたかったが,ちょうどいい話がなかったのでしばらくはロボットの本を読もうかと考えている.泥縄であるが,会話するということはそれくらい遅れてくるものと思う方が気楽でよい.

Tell Me a Story

コンピュータと人が会話できるようにしよう,という動機において,ロジャー・シャンクが1970年代後半から進めたスクリプト(脚本)の考え方は,ある状況において会話の登場人物や発話の内容・順序はだいたい決まっているものなので,その典型的な脚本を用意しておけばコンピュータにとって会話を理解したり生成したりすることが多少容易になるというものである.脚本があればコンピュータは次に何をするべきかあらゆる可能性を吟味する必要はないし,情報の欠けた部分は典型例を用いて補うことが出来る.たとえばコンピュータがレストランのスタッフを担当するロールプレイでは,玄関から入ってくる人間は自分でそう明言しなくとも十中八九お客さんであるので,コンピュータはまずは挨拶したり,その人を客席に案内すればよい.ただし,あらゆる場面でこのようなことが出来るようにするには,スクリプトをどのようにしてつくるのか,ある状況に対してその典型にあたるスクリプトをどうやって探すのかという点が難しくなる.また,典型であるスクリプトを実際的な場面に適用する際の技術的な課題も少なくない.しかし,そうだとしても,ある限定された場面ではうまくゆきそうだという見通しはマクドナルドのレジを思えば得られる.

シャンクはコンピュータ上の知的処理を研究するにあたって,人の知性,とくに記憶の仕組みについて深く検討している.スクリプトは単にコンピュータの会話処理のために考案されたわけではなく,人もスクリプトのようなものを持っており,人同士の会話においてもそれは利用されるという仮説に立つ.人同士の日常会話では,その場で細かな要素(記号)や規則の組み合わせに基づいて話を組み立てるよりは,スクリプトのような既にあるものを利用した簡単な手続きで話が進められる.これは人の知能が単純であるということではなく,人が会話のどの部分で最も知的な処理を行っているかということの問いかけである.1990年の Tell Me a Story (邦題:人はなぜ話すのか)では,スクリプトだけでなく話の内容も既にあるものとした議論が行われており,日常の会話について人の知性が働いている部分とは,その場で話の文章を組み立てる作業よりむしろ,話が記憶され,持続的に修正が行われる過程や,相手の話に対して返答するべき話を記憶のなかから選ぶ過程であるとされる.

Tell Me a Story において,AがBの話を理解するということは,Bの話に関連があるとAが思っているようなAの話を返す形で現れる.このため本書の典型的な例題では,話者が交替するごとに話の中心が伝言ゲームのようにスライドしてゆくことになる.これは,相手が自分の話を理解してくれたと思うのはどんな時かということを考えたときに,単に理解した,と答えられるよりは,相手の経験にあるうちのよく似た話を返してくれたほうがより納得できるし,そこでは多少のスライドについておおらかでいられるものだという仮定に基づく.

シャンクに言わせればワイゼンバウムのEliza(1966)も人の会話における理解のありかたの証左となる.Elizaはテキストベースの対話プログラムであり,ユーザの入力から部分を切り出して修正したり,入力と関連する文を探すことによって返事を生成する.いまでも数多く見られる人工無能プログラムやブログペットの元祖である.そしてここで人がEliza的なプログラムに対して理解力を認める場合,それはプログラムの仕組みよりむしろ,結果としての会話における関連の連なりにおいてである,ということになる.

もちろんここで大切なのは,そもそもの話を記憶するときのことや,うまく引き出すための索引付けや,記憶や索引が時間とともに変化してゆく過程である.それは僕らが生活するうちに常に行われており,とくに誰かと会話したり自問自答するような場合に活性化している.それはそれで大変な過程であるけれど,その代わり,いざ話を引き出して言葉にするときに必要な労力は,従来思われていたよりは楽なものと言えるのである.会話について,その場の即応的な過程よりむしろ日常的に経験されることや考え続けていることを重視する点でシャンクの主張は魅力的に思われる.

日常会話についてシャンクは声や表情,しぐさなど非言語の側面は議論から外しており,また言語の組み立てや会話の進め方にもあまり重きは置かず,話が記憶され発話される点に特化している.シャンクの主張は会話の理論として見ると特殊な部類に入り,むしろ日常記憶やエピソード記憶と呼ばれるような記憶の研究との関連が指摘されるが,僕はこんな風にして日記のようなものを長い間書き散らしてきた結果なのか,会話あるいは会話のように何かを綴るとき,記憶することまたはその一形態として文章を書いたことがかなり重要な過程であったと感じる.

言語的側面についてもう少し補足すると,発話を生成する過程には文法のような還元的な規則に基づく部分も少なくはないし,発話を理解する過程においても同様である.実際,シャンクの理論を実装しようとするとこれらの助けを借りることになる.しかし,いまコンピュータの生成する発話が僕らの経験に沿った見た目に近づいて来ていることには,シャンクが主張してきたことの貢献があったと思われる.自然言語処理の技術全体を眺めるならば,今では電子メールやWeb上で僕らの言葉が電子化されるようになったこと,僕らの言葉を大量に集めて処理できるネットワークとコンピュータの環境が整ったこと,文章を要素に分けて相互の関係にラベルを付ける技術が進んだことによって,僕らの言葉の味わいをそのまま残したような用例ベースの処理が機械翻訳や音声合成で盛んになったという時代にも因った話であるが,シャンクの主張そのものは色あせていない.

Tell Me a Story とおよそ時期を同じくして,シャンクはその理論の知識工学における具体化とも言える事例ベース推論の技術を提案した.これは過去の実際の事例を集積し,事例の類似関係に基づいて新たな問題に関する推論を行う手法であり,今でもナレッジサイエンスにおいて発展的に利用されている.

シャンク自身は現在,人の実践的な学習の仕組みに沿った教育システムの研究開発に従事している.

人はなぜ話すのか―知能と記憶のメカニズム

人はなぜ話すのか―知能と記憶のメカニズム

  • 作者: ロジャー・C.シャンク,Roger C. Schank,長尾確,長尾加寿恵
  • 出版社/メーカー: 白揚社
  • 発売日: 1996/12
  • メディア: 単行本
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レストランのスクリプト

はじめてのオフィスに足を踏み入れるのは心の準備がいる.たいてい,こんにちは,とでも言っておけばいいのであるが,返事がないと心細くなる.こそこそと歩いて,ちょっと顔の向きが合った人に,すみませんが,と腰低く声を掛ける.

レストランにはもう少し決まった流れがあって,戸をくぐれば三分の一くらいの場合は向こうから声を掛けてくれて,席を教えてくれて,メニューがきて,注文して,料理がきて,食べて,レジで支払えばOKであるが,残りの半分くらいはこちらから声を掛ける必要があって,その場で声を上げるか恐る恐る中へ入っていって人を探すか,さらに半分はそうしても返事がなくて途方にくれるか,といった具合である.慣れてくると店に入る前からどういった流れになりそうか予想できそうなものであるが,あいにく僕は店を選ぶのが苦手で途方にくれることが多い.

ここでスクリプトという言葉は脚本の意で用いている.レストランならば自分が行動して相手が応えてくれるという手順についてあまり考える必要のない決まった流れがあって,海外のレストランでどうするべきか(支払いはいつどこで?チップの渡し方は?)なんてことはガイドブックにも書いてある.あるいはスクリプトから外れてしまったとき,玄関に人がいないけれど店の奥のほうにいそうならばとりえあえず聞こえるように,こんにちは! と言えばよさそうである.ここではお店で人の姿が見えない場面における別のスクリプトを用いているとも言える.苦手な僕でも手持ちのスクリプトを増やせばマシになってゆくところがある.しかし,僕らを焦らせたり困惑させるのはむしろ,いま自分がどのスクリプトを当てはめるべき場面にあるかを理解し,またそれを当てはめようとする点においてであると思われる.

将棋のスクリプト

将棋は大抵ひとりで指していたけれど,何度か父と手合わせしたことがある.僕はもちろん将棋の本を頼りに勉強していて,棒銀や穴熊のようなさまざまな戦法があることを知っていた.だから父と勝負を始める前,ここぞ戦法を実際に使う機会だと思って,今日はどの戦法で戦うの?と尋ねた.

そのときようやく将棋の戦法というのは互いに了解を得てから用いるものではないと教わった.将棋の本には各戦法ごとのプランや戦法同士の組み合わせが詳しく書かれていたけれど,それが実際の対局の場面においてどのように行われるかは一言も書かれていなかったのである.

キミキス

祇条さん,ナカヨシルート最後まで.いやごめん,僕が悪かった.そのちょっと行き過ぎた振る舞いは許嫁として聞いていた人にはじめて会って,それが素敵な人だったので舞い上がってしまっていたが故なのだなぁ.すまぬ.

会話すること

理解するのに時間かかったけど,キミキスのマッチング会話のルールはおよそ次のとおり.

  • 会話はターン制で進む.
  • 男の子(プレイヤー)は順序を指定した16枚の話題札から成るデッキを組んで,そのうち上から5枚をはじめの手札とする.女の子も同様であるが,デッキの話題札は15枚である*1
  • ターンのはじめに男の子は手札から1枚を場に出す.出した手札の話題が女の子の手札のいずれかとマッチしていればそのターンの会話は盛り上がり,男の子は話題札と女の子との組み合わせに対応する正解ポイント(ハートか音符マーク)を1つ獲得する.
  • マッチした場合のみ女の子はその手札を捨て,デッキから1枚補充する.男の子は必ず出した手札を捨て,デッキから新たに1枚補充する.
  • 5ターン終えるか,アタック/エスケープコマンドを使った時点で終了.
  • 男の子が女の子の手札を見ることは出来ないが,デッキは恋愛レベルが二つ変わるまでは一定であるため,中身を想像することは出来る.

そのほか細かいルール

  • 3つ連続でマッチに成功するとボーナスで正解ポイント(ハートか音符マーク)を3つ獲得する.
  • 3つ連続でマッチに失敗すると,マッチ可能な話題が1つ推測可能になる.
  • 4つ連続でマッチに失敗すると,会話が強制終了.

マニュアルでは話題札は話題アイテム,デッキは話題袋と呼ばれてるけど,自分に判りやすいように読み替えてみた.あとゲージが2本あって溜まった量によって取れる行動や結果が変わる.ゲージといえばアルトネリコのハーモニクスシステムなら3本あるわけだけど,複数のゲージの量によって対戦環境が変わってゆくのは,僕にとってはちょっとややこしい.

さて,日常会話で相手の好みの話題を頑張って推測する,というようなことは,はじめて会ったその日のうちはともかくとしてあんまりないわけですが,残りの高校生活に対する男の子のほうの焦りが,会話を神経質なものにさせているのかもしれないです.

話っていうのはその場で自分のなかから出てくるものじゃなくて,何か面白いこと喋って,と言われていきなり喋るのは難しいのだけど,つい最近別のどこかで喋った話題や誰かに話そうと思って覚えておいたことがあればそれを話すことができる.自分のなかというよりも,いったん外に出してあるからただそれを取ってくればいい感じ.話題ベースで1から話をつくるのは難しくて,学校生活や恋愛の話をしよう,材料としては何々があって……という風には考えなくて,たいていはもう内容のほうが先にあって.

だからアルトネリコで床に落ちている話題を拾って話すというセンスはよく判ります.しかも拾うことのできる話題の数がマス目になっていて,全部でいくつあるか判るのね.話の数は無限じゃなくて有限だって見せているのがいい.その都度,その瞬間の妥当な範囲において世界は有限であってほしい.そしてその有限な世界がたくさんあって,僕らはそのおかげでたくさん話をすることができるのであってほしい.僕らがその精神から話題と材料を組み合わせればどんな話だって即製できる可能性があるだなんて,考えたくもないから.

誰かと会ってそのときその場で作ることができるものって,言葉にならないです.想いみたいなのが,伝わるといいのだけど.

キミキスはもともとT.Tくんに,これ会話のゲームだから○○さんは絶対やってくださいよ!とか言われて手渡されたものなので,その返事みたいな.内容のほうが先にある,というのはロジャー・シャンクが1990年ごろ言ってた話を,それこそ拾ってきたようなものだわね.

キミキス

キミキス

人はなぜ話すのか―知能と記憶のメカニズム

人はなぜ話すのか―知能と記憶のメカニズム

  • 作者: ロジャー・C.シャンク,Roger C. Schank,長尾確,長尾加寿恵
  • 出版社/メーカー: 白揚社
  • 発売日: 1996/12
  • メディア: 単行本
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*1:女の子のデッキについてはhttp://dash-b.com/kimikiss/を参考

キミキス

祇条さんはふかふかとして可愛いですねぇ.ナカヨシルートでは何か冗談みたいな人になってたけど,恋愛ルートのほうはもっとまともだったので良かった.

ゲームのスチルはタイトルに準じて女の子の顔が大きく映ることが多いのだけど,恋愛ルートでは大切なキスの日だけがカメラをずっと引いたロングショットになっていて目を引いた.ためが放たれた感じで美しいです.

単にナカヨシルートでのキスと描き分ける必要があったからかもだけどね.

アルトネリコ

シュレリア様はよく泣く生き物だが((c)とらドラ),泣いてる立ち絵の多さったらないです.それは千年分の涙ですか.

彌紗ルートでコスモスフィアもLvEまで見ているけど,ごめん彌紗.シュレリア様のところに残ります.

コスモスフィアでは女の子の心の世界が何層もの絵地図になっている.その地図の上を旅して,こだわりを一つ取り除くごとに新しいあるいは古い自分がさらけだされてゆく.古い自分は思い出で,新たな自分は恋心.心の地図だなんて言葉にするとどうもデリカシーに欠ける仕組みであるのを,toi8の繊細な筆致が絵に収めてる.繰り返すけど,toi8の手がけた女の子の心の絵地図がたくさん(21枚)というだけで全国の少年少女が失神しそうです.うさぎが! そこ,うさぎが地図に! どうやって保存しようか悩んだけど,クリアすればExtraから地図も見られたので良かった.

女の子のほうはコスモスフィアでの出来事を明示的に認知できないという点も繊細さの一つ.あと夢らしい文脈の混乱を書くのが上手い.

絵のせいもあるけど,夢もしくはロールプレイにおける切実さは嘘妹みたいよね.あと「どんすけ」はまんま「くますけ」を思い出す.