話の流れが明らかであれば人の振る舞いにそれぞれ不可解の残るほうがよいし,人の振る舞いがそれぞれ明らかであれば話の流れに不可解の残るほうがよい.加減の好ましさをいうなら,そうであるのが素敵と思うのです.話と人の見分けがつかないような語り口ならばそれは詩的.
自分の思うところを言語化しがちなコミュニケーションは優しいのですが,思いやりや困難が言葉で通じ合えるのだとしたら,不可解なものがそこに伴っているほうがもっと優しい.言葉が取り結んでいるのは文字通りのところだけじゃなくて,深層の気持ちに触れるか触れないかだけでもなくて,なんかほとんど関係なさそうなこと,お箸が転がったとか,リンゴが落ちたとか,自分らの意図しようもないことを,特にわけもなく,なんでも巻き込んで引き受けてくれていると落ち着いた感じになるんじゃないか.
コレットとエルモが丁寧なやりとりをもって通じ合えてゆくところにはどこか物足りぬような不安を覚えるのですが,周りの妖精たちがわけもない奴らだったので大変落ち着きました.8人目はいなくて7人の仲間たち,7という数字は示唆的ですが,それでも,わけもなくどやどやとやってくるラストは圧巻です.
![airy[F]airy 初回限定版 airy[F]airy 初回限定版](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kgsunako/20180830/20180830122433.jpg)
- 出版社/メーカー: RococoWorks
- 発売日: 2010/01/29
- メディア: DVD-ROM
- 購入: 1人 クリック: 43回
- この商品を含むブログ (23件) を見る
ハラペーニョ&タベルノがコレットのことをヒメと呼ぶのもよく判らんのですが,元々は妖精の世界に迷い込んだブランディーヌさんのことをお姫様みたいな人だーと思いこんでマレ家へついていったら妹がいたんでさ,姉のほうは女王へ格上げして妹のほうがヒメになったのではないか,とそこまで解題したところで,そもそもなんでお姫様やねん,というのは残ります.たいへん良いですね.彼らは素敵から詩的の入り口くらい,サンタリキアの森で今日もなんかして遊んでいます.