吾妻ひでお「失踪日記」「ときめきアリス」

高校生のある日,「…絶句」を読んで初めての朝帰りを経験した.実世界に帰ってきたら外でチュンチュン鳴いてたというわけ.朝までなにかしてることの高揚感はこの時に覚えたのだったっけ.吾妻ひでおの絵に触れたのはそれが最初で,次はもちろん(?)「花輪竜一郎さんの優雅な生活」である.それでもう二度と触れることはないと思ってたのだけど,「女王陛下のプティアンジェ」について調べてたらまた名前が出てきた.そういうわけ.

 竹宮ゆゆこ「とらドラ3!」

麻耶ちゃんやっぱ友達だよなぁ(p.226).かっこいい.

友達の友達はみんな友達,というわけにはゆかない.自分にとっては両方が友達だけど会わせなきゃ良かった,まぜるな危険ということがある.気が合うグループがあって,しかし複数のそうしたグループと付き合いがあるというのも自分のなかでは矛盾しない.気が合うというのは一通りではない.一方で傍目にはひとつまたいだ先の友達は得体が知れなかったり腹立たしい存在と思えることがある.自分のなかの不揃いには優しいのであるが,他人の付き合いもいろいろ交ざっていると納得するには時間がかかる.

川嶋亜美は櫛枝実乃梨周辺の面子とからむ機会が増えつつあるが,それは麻耶たちと友達でなくなるということではないだろう.竜児が付き合ってみると川嶋亜美の振る舞いは綺麗に白黒区別できるものではなかったし,本人が何か困っている様子でもない.亜美には裏表があると竜児に拘らせているのはファミレスでの出会いのときの北村君による誘導であって,大河は問題にしていない.北村君としてはなんとなく似てるとか気が合いそうだと直感された自分の知りあい同士を引き合わせてみたのではないか.自分をはさんで人を紹介するときには自分が思うところの誰それはこういう人物であって,というところから始めるのが普通なので,北村君も自分が思うところの川嶋亜美像というのをおそらくは自分が体験したような形で竜児に見せたのである.

シムーン #23

AT-Xはまだ#23だよ…….最終回は3週間後.

アーエル「じいちゃんがずっと憧れ続けてた,違う世界.わたしはそこへゆくためにシヴュラになったんだ,なのに……」

アーエルと祖父との気持ちのやりとり*1は,今回,断言するように出てきたこの言葉でついに締められるでしょうか.彼女が当初,泉に行かなくていいからシヴュラになったと言ってたことも嘘というわけではなかったろう,ということは繰り返し書くのだけど,僕らは彼女たちの姿をこれまでずっと追いかけてきたわけであるので,始めからアーエルの目的が違う世界へ行くことだったというよりは,ここまで来てようやくその想いに辿りついたという印象がもたれるはずです.何のためにという理由はよく迷われるもので,祖父と話した日々のこともその迷いの中でずっと生きてきたんじゃないかって想像すると,やはり彼女は信仰に篤い人なのだという考えに至ります.

世話をするお兄さんたち

枯れ具合や立ち位置がイージスの秀明君に近いのはミルキィ・シーズンの管理人氏.ただし食事は別のお手伝いさん(さちえ)がいるため,かの寮では逆瀬川屋敷よりも余裕のある時間が流れている.イージスを読んでいるとさちえさんの偉大さがよく判る.もう一歩踏み込んで世話対象を健全健康な暮らしへ導かんとするのが絶対可憐チルドレンの皆本さんやメイドガイ・コガラシ.彼らは対象における乙女の恥じらいを浸食しがちであるが,そこにも気を遣うのがとらハ2の耕介さん.

彼らに世話されたいものである.

ところでさちえさんやコガラシの出す食事はおいしすぎるがゆえに女の子たちからボイコットされることになる.よく食べるため体重がすくすくと増えてしまうからである.基本的には笑うところであるのだが,飯のうまさであるとか育てようとする意思であるとかそういうのにもじわっとくる.

食事に困ること

イージス5については1巻に顕著であるが,誰もまともに飯を作れないという点に興味を引かれる.食事についてはD.C.の朝倉兄妹の暮らしも似たものとして思い出される.そこでは誰かが出来ない分を他の誰かが埋めるという連携が採られない.食事のような大きな問題について出来ること出来ないことの最適な配置がなされないのは,別の部分の,つまり彼らが出来る限りにおいての連携を引き立てているとは言えないだろうか.

とか堅苦しく言うような話ではないか.いつにもまして頭悪そうな文だ.上の2つについては,若い人たちの懸命さや結束は衣食住のような暮らしの根っこの部分では結果を出しにくく,気持ちにおける世話のほうが目に付きやすいということで.