恋はいつだって唐突だ

まだ成人してないころの両親と会ってみたいか,という問いへの答えは,自分が何歳のときに訊かれるかで変わるのでしょう.

そもそも中高生のころは考えもしなかった問いだわ.お父さんはお父さんで,お母さんはお母さんだったから.でもいつか古い荷物のなかに昔の本を見つけて,こんなブンガクみたいなの読んでたんだと思うなどした.それはいまの両親でない別人が読みそうな本に思えてね.

自分がちょうど親ほどの歳になったいま,若いころの親に会いたいとは思わない.当時のことを今の目線で知ろうとするのはよくない気がしてさ.友達のことだったら昔のことをたくさん知りたい.だけど親は友達とは違うって思うのよ,まだ,きっと,しばらくは.

本人の口から昔の話を聞く分にはいいと思う.なかなかそういう話の流れはないし,もう永久に機会は訪れなかったりするけど.それでもともと寡黙だったこともあって,けっきょく父の昔話は本人でなくほとんど母から聞いた.本人はあまり話したくなかったかもしれないけど,もしかしたら,あと10年,時間があったら話すつもりだったのかもしれないです.

なんで結婚しようと思ったのかという話も聞いて,さすがに何十年も経ってるから母なりに強固なストーリーがあるのを感じました.遠い昔の話に根ざしてるので,もっともだなぁと思うのは難しかったのだけど,そもそも恋愛事情というのは当事者以外に判らないものかな.

そういうことを考えていたらちょうど,未来から娘さんがやってくるお話でした.

With Ribbon

With Ribbon

男の子がどの女の子と結ばれて娘さんが生まれるのか,というのが不確定な状態であるため,娘さんの性格も現在だれが未来のお母さんになりそうな感じであるかによって揺れ動きます.見た目は多重人格なんだけど,それぞれの娘さんが特定のお母さんの娘として生まれてきたことを喜ばしいと思っているような背筋の通り方がよいと思います.なお,だいたい母子で性格が似てるんだけど,そうでないこともあるのが可笑しい.

はるか「おかしいな……あたし……泣いてる……」

はるか「帰ったら……パパとママにすぐ会えるのに……」

(中略)

澄香「ここでのはるかちゃんは,あたしや翔太郎にとっては親と娘である前に……友達だったから」

澄香「だからだと思う」

澄香「はるかちゃんが帰った時には,大人になったあたしたちがいるだろうけど,でも,それは……」

翔太郎「完全な大人で,そして親としての俺たちだ」

翔太郎「今みたいに同じ年頃の友達ってのとは,やっぱり違うはずなんだよな」

同じ年頃の友達,というのは若かりしころのこのご両親から見ればそうなんだろけど,未来の娘さんからしてみればそうじゃないよなぁ.彼女は未来の母のことは名前で呼ぶんじゃなくて,ママ,母さん,など性格によって呼称は変わるものの,ずっとそう呼ぶことを貫いてるわけで.彼女が別れを惜しんだのは同じ年頃の友達に対してではなくてやっぱ若いころのパパさんママさんなんじゃないかしら.引用部は,友達として別れを惜しんだのはむしろ彼らのほうである,というのが言葉になった一節で.

高校のころ僕が書いたフェルメールの模写を母に見せたとき,父がむかし油絵を描いてたのだと教えてくれた.昔話のなかで若いころの趣味を思わせる話はそれっきりだけど,たったこれだけの話を僕は気に入っています.僕のなかに巡ってるこの気持ちと,この娘さんが若い頃のご両親と会って持ち帰った気持ちとは近いものがあるのではないかと思っています.

いったん俯瞰的なところへ立ちますが,未来からきた娘さんがいれば恋愛ゲームを規定できる,というのが面白いと思います.娘さんがいるってのはエンディングが人の形をとってやってくるようなもので.この人が未来のママみたいな気がするよ!と娘さん(日向はるか)が選んでくれた5人の少女が,未来のパパさんである日向翔太郎の花嫁候補となります.ついでに言うと,この人はママっぽくないよという負例も教えてくれるので,ある少女が対象であるかどうかはきっちり分類できます.負例に入れられた委員長が不憫でした.

はるかの記憶はどういうわけかやや曖昧になっていて,確かなことはパパとママが学園祭までの3日間のうちにキスしてるって話だけ.ママさんからそう聞いたのかしら,もしかしたら,絵かなんかを見せたのがきっかけでそういう話になったのかもしれないね.そんなこんなで翔太郎は見ず知らずの少女も含むその5人のうちひとりと,たった3日間のうちにキスするほどの仲になる必要が出てくる.そんな尻込みしたくなるチャレンジをいつも後押ししてくれるのが,はるか,というエンディングが確かに存在してるってことなんだ.現にわたしがいるんだからやってみればいいじゃない.道はわたしと共にある.

澄香「翔太郎って,不思議……どうして,欲しい言葉がわかっちゃうの?」

翔太郎「俺は思ったことを言ってるだけであって,わかるなんてことは……ははは」

---今回はともかく,ほとんどは何回もやり直してるからだと思うぞ!?

この3日間は限定的なタイムトラベルによって誰かとキスする仲になれるまで繰り返すことになるのですが,繰り返していることに対する誠実さが翔太郎のほうにも槇喜屋澄香のほうにも伺える語り口が好みです.何度も繰り返してうまく振る舞えることもあるのですが,決定的なやりとりでは女子に手慣れない彼が思ったまま流されるように言った言葉が効いています.また,アスリートである澄香はこの繰り返しがチートではないことを納得するのに段階を要しています.

ひとめぼれを信じますか,というのは僕がギャルゲ-について何か書きはじめてからずっと言ってることだけど,このループする3日間というのは一瞬に輝くようなひとめぼれをですね,幾重にも畳み込まれた逢瀬として,ほどいて,ひらいた表現だと思いました.Yes,ひとめぼれよ.そうでないと見ず知らずの人とどうやってキスするのよ? ひとめ会ったその日から,僕はあなたが好き,わたしもあなたが好き,好き,好き,好き,キス.3日といわず1日仕事よ! ひとめぼれについてゆけないのはおそらく僕らのほうであって,だとしたら僕らは納得ゆくまで存分にループすればいいと思うよ.

ひとめぼれの事実はきっと一瞬.だけど,それはどうやって表現できるのだろうね.恋はいつだって唐突だ(下痢もいつだって唐突だ),とはある少女漫画の書き出し,のようなものであるが,不随意なそれ.

手塚ゆみみと日向翔太郎は初対面である.見ず知らずの人とキスをするという無理目の設定を抱いてはるかは未来からやってくる.ほんと,未来でどんな風に聞いたんだろ.ママはこんな風にしてパパのこと好きになったのよ.だけど3日間でどうやって? 10数年前の出来事を振り返ったストーリーと,実際の3日間を体験するのとでは違ってるだろ.恋に落ちた,の5文字で書けるかもだけど,こういうときは巻き込まれてくような回転のメカニズムが車輪になって疾駆する,洗濯機になって目を回す,そういう様子に気持ちを乗せてゆくと誰かのひとめぼれの速度にうまくついてゆけるんじゃないだろうか.It’s automatic で.

無理目の恋を表現するのに,親が子に語るような,人が誰かに話すときのような普通のやり方では物足りなく感じたとき,機械という名の詩神が要請されるのでしょう.

はるかがどういうわけで未来からやってきたのかはまだ判らないけど,まぁ,判らなくてもよいのだけど,とりあえずキスの話っていうのは実際のところ,ジェットコースターみたいだったのだ.

楽しいなぁ.

星の数ほどもある素敵なことから自分の好きなものを選ばなくちゃならないのか.

紐の切れた凧のことをよく想像するのですが,どこか見えない場所まで飛んでいってしまいそうな気持ちで,空の星を思えばいくらでも綺麗で,ご飯はどんどんおいしくなくなるという話です.飯屋ではメニューからなにか注文しないと腹がふくれないように,選ぶということが形を息づかせているのかしら.

凧と紐のことを考えなくていいように、星の影のようなものを拾おうとするのだと思います.足元にあるのかなぁ.暗かったり明るかったりでよく判らない.ひとりそういうことを考えることのできた夜明け前に掴めそうなのは,星を縫いつける糸でしょうか.

あれがデネブアルタイルベガとはるかに線を描くよりも,どうやってか手に取れないかなぁ.光と言ってもいいし,音かもしれないのだけど.

フィクションと僕を繋ぐなにかのことです.