メディアとしての選択肢

六ツ星きらりのぱっと目を引くところは,フィクションの人物があるとき選択肢に遭遇し,彼のマウスらしきものを動かしてその選択に迷っている,その様子が僕にも見える点である.逆選択肢とでもいうべきそれは裏返し文字で右から左へ表示される.つまり画面の向こう側からだと正しい向きで読むことができるようになっている.

ゲームにおいて僕が選択肢と対峙しそして迷うものだとすると,向こうももちろん同じようなスタイルで迷ってなくてはならないわけである.その僕らとフィクションの人たちとが非対称であることを許さない態度が僕は好きだ.

この話をもう一度裏返すと,僕が迷い箸みたいにマウスをうろうろさせて選択に迷う様子は先方にもきっちり見えてしまっていることが容易に想像できる.ここで選択肢とは内面に存在するものではなく,対面する僕と彼の間に立ち現れる双方向のメディアとなっている.僕らとフィクションの人たちとの対話はこのような新しいメディアによって築かれるものと思われる.


六ツ星きらり(千世)11/5発売予定.体験版にて.

仮面ライダー龍騎

助手の先生に薦められて見ている.その人はお子さんと一緒に見ていてはまったという話で,そんな風にはまるのはイケメン目当てのお母さんだけではないのだと知った.いわくやりたい放題なCGが素敵すぎるということであるが,僕にとってはその人の語り口の熱によってずいぶん魅力が増している.フィクションを見るときそれを大好きな人が側に居ることはほんとう有り難い.

第一話のナイト格好いいなあ.


仮面ライダー 龍騎 Vol.1 [DVD]

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未来世紀ならまち

六ツ星きらりの舞台は近畿地方の架空の町,星城京と言う.その名前から想像できるように奈良の雰囲気を残しつつ,星の話をしやすいように色々と手が加えられている.ただし,奈良市はお世辞にも都会であるとは言えないが星城京は何故だか都会ということになっている.ここは都会であると良太が自慢するのを聞くたびに奈良出身の僕はんなわけあるかと突っ込みを入れたくなるが,同時になぜだか頬が緩んでしまう.僕も一度はそんな風に言ってみたいのである.

町には奈良町の佇まいが強く反映されている.奈良町とは興福寺の南に広がる江戸時代から明治にかけての古い町並みを残す風致地区である.京都と同じようにも見えるが星城京の町並みが奈良町のものであるという決め手は,軒先に連なる庚申さんの身代わり猿である.これは布で作った赤い猿の人形で庚申さんとともに全国で見られるものである.しかし贔屓目かも知れないがやはり奈良町の風景がいちばん有名ではないかと思う.

智樹はこの町の葛菓子が好物であるという.葛といえば吉野葛であり,奈良には天極堂という創業130年のお店がある.どうもだんだんお国自慢になってきたが特にこの辺りは僕が小さい頃過ごした場所であるため紹介しておきたい.東大寺へ参詣される際はぜひ天極堂にもお立ち寄り頂きたい.

この星城京は実際の奈良よりもハイカラである.横浜にでもありそうな落ち着いた喫茶店(カレーが出る)だとか,昭和初期のプラネタリウムであるとか,戦前の時代に新しい文物であったようなものを随所に見ることが出来る.先程の天極堂が作中で夕月堂となっているのは東京風月堂のもじりであるため悔しいが,一方で維新の世に洋菓子屋を開業した華やかなりし頃を偲ばせるものではある.平成の世にして感ずるハイカラというのは当時の未来の残り香である.さっきはああ言ったが古都奈良に都会というものはそぐわなくて,だからそうした残り香のおかげで古都でありかつ都会であるというありえない奈良を納得することが出来ている.


六ツ星きらり(千世)11/5発売予定.体験版にて.


奈良町・庚申さん
天極堂
 kudzu.co.jpというのがたいした自信である.
風月堂
 その歴史年表は紀元前から始まる.これまたたいした自信である.
 はてなキーワードの風月堂は今のところ喫茶店のほうの風月堂しか登録されていない.また,その漢字表記については注釈を必要とする


三条橋商店街(ゲーム紹介のページより)
 三条といえば京都を思い浮かべる人が大多数であると思うが,奈良における三条通りもJR奈良駅の前を通り春日大社参道まで伸びるメインストリートであるため,作中の三条橋商店街のモデルはこちらの三条通り商店街だと思われる.奈良町と興福寺との間を走る道であり,ちょうどあんな感じで土産物店や飲食店が並ぶ.ただし背景に描かれている宇宙雑貨こと宇宙百貨に奈良店はないため,ここは京都新京極も交じっている.

School Rumble (1)-(6)

大学一回生の秋にとある委員会の合宿があって,たいして知り合いが居るわけでもないのに友達が増えればいいと思って参加した.移動の電車のなかで数人の男と一緒に話すようになって,その中心にいた人いわく,なんで俺の周りにはいつも男ばっか集まるかなー,ということであった.そういう人はどこにでもいて,こう見知らぬ人ばかりの場所に参加するときには有り難いものである.しかし,そういう人に頼ってばかりいるといつまでたっても人見知りが直らない.人とたくさん会うようになった今になってもまだ直っていないので辛いと思う.それはそうと,合宿の夜,僕は一人あぶれた感じで和室の奥の板間から外を眺めていた.さっきの彼はどこかへ行ってしまっていた.僕は手に350mlの缶ビールを持っていて,生まれてはじめてそれを飲み干した.何もかもがはじめての頃だったからそういうのも一度やってみたいと思っていた.そんな風にたそがれていたとき,事件は起こったようだった.女の子が泣いたとか,追いかけたとか探しに行ったとかいう話が,畳の間のほうから漏れ聞こえてきた.ガラス戸の外,夜の公園では惚れた腫れたが進行していたようで,ああさすがに大学に来ればそういうドラマみたいな話はあるもんだな,と思った.そういう話を耳にするのもはじめての体験だった.当事者は僕と同じクラスの男と僕と同じ分科会の女で,どちらも僕が声を掛けることのできる数少ない相手だったが,僕は二人が好き嫌いというような関係にあるなんてことは全然知らなかった.自分が委員会にまだ入り込めてないことは判っていたが,それは少なからずショックであった.そのうち帰ってきた例の電車の彼からそんな事情を聞いたのだった.合宿はどこへ行って何をやったのか全く覚えていない.そんな風に記憶の曖昧な旅行は他にないのでこのときのことは何か夢のようにも思えるが,そういう夜があったことだけは鮮烈に覚えている.

スクランのみんなは,プール遊び,海水浴,キャンプに運動会と沢山のイベントに囲まれて過ごしている.恋愛を語るにあたって高野晶が心理学で言われるところの吊り橋効果の話を持ち出したが,天満や愛理はまさに吊り橋を渡っている最中なのでそんな風に外からの想像が及ばない渦中にいる.以前,日本一長い谷瀬の吊り橋へ行ったとき,順番待ちをしている間は怖くてへっぴりごしで渡る人たちを見て家族みんなで笑ってた.しかしいざ自分たちの番となると谷底の上で何も考えられなくなって,前の人のシャツを掴んできっと周りから見ると笑えるような格好をして渡っていた,これを谷瀬の吊り橋効果と呼ぶ.洒落はともかく,さて,格言であるとか○○は××するものであるといった観点はその事情の真っ只中に居る人にとって認識したり利用したりできる類のものではない.晶の口から吊り橋効果の話がすっと出てくるのは,彼女が吊り橋の手前か先に立ってものを見ているからだろう.晶は同じ気持ちではないと思うが,あの夜の僕は吊り橋の手前に立って,そして少々いじけていたのだと思う.

吊り橋効果と関係があるかどうかはよく判らないが,読者である僕もあの騎馬戦の様子にどきどきしていて,その調子で2年C組の人たちには男女構わず惚れてしまいそうであった.播磨の帽子を守った愛理とその借りを返すためにアンカーを務めた播磨は「今日だけは特別」にフォークダンスを踊るのであり,このとき彼らは吊り橋のようなものを一つ渡り切ったように見える.そして彼らの前にはまた次の吊り橋が待っているのだ.そこに,歩いてはいられない日々がある.みんな体動かすのが好きそうだ.あのおとなしそうな八雲だって見ればよく走ってる.前を向いて走ってゆく限り,その先に必ず吊り橋は続いていて,名高き谷瀬の吊り橋もかくや,松島,天草を八艘飛びに橋は架かり,かれら海の向こうまで渡ってゆく.格言みたいな物言いをすると吊り橋の恋は熱しやすく冷めやすい.しかし,吊り橋を渡り続けたならどうなるのだろう.それはきっとラブコメというやつである.そしてラブコメにアクションは欠かせない.彼らのアクションを見ることによって僕はどきどきしやすくなっているように思える.ここでラブコメだとかそういう突き放した言い方は彼らに対して失礼であるが,ときどき自分が吊り橋の手前か先に居るような気がして,そんなときぽろっとそう思ってしまう.僕は彼らの暴れっぷりに巻き込まれ一緒にどきどきしていたはずなのに,自分にがっかりしてしまう.

谷瀬の吊り橋を渡ったあの時,高くて細くて長くてほんとうに心臓が壊れるかと思った.これを地元の人は平気でスクーターに乗ったまま渡れるそうである.
渡れるようになるそうである.


School Rumble(3) (講談社コミックス)

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谷瀬の吊り橋

ノシ

あれから激しく体調を崩してしまったので,散歩を始めました.手を振っていただいて有難うございます.ご心配をお掛けして大変申し訳ないのですが,自分の中で色々解決できるまでしばらくそっとしておいて頂けると幸いです.

部長生徒

部活動において部長はえらい.なかでも部そのものを創った部長はえらいだけでなくかけがえない.涼宮ハルヒのSOS団,須王環の桜蘭高校ホスト部,天河輝夜の天文部を見るにつけそう思う.この三人はいつだって楽しそうであり,そしてもれなく部員たちにぞんざいに扱われている.いつ見ても楽しげな人に対して僕らはどういう風に接することが出来るだろう.あんたは全くもう,とあきれたり,怒ったり,冷たくしたり,時には一緒に笑ったり.学年もクラスも違う人たちが一つの部室へ集まることは少なからずストレスを感じさせるはずなのに,とっかかりはいつも彼の楽しげであることに対して反応を返せばよくて,そこから肩の力を抜いて一緒の時間を過ごすことができる.ここで部員たちの日常とは,つまり変わらないこととは,みんなで騒ぐ文化祭前の時間のようなものではなく,ただ部長が楽しそうであるということに尽きる.新しい部が創られるとき,それはいつも楽しげに見える人の手によるものであってほしい.そしてその部室に幸いあれと思う.


涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)

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桜蘭高校ホスト部(クラブ) (4) (花とゆめCOMICS (2659))

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六ツ星きらり(千世)11/5発売予定.体験版にて.

六ツ星きらり

学校には何年生きてるんだか判らない妖怪が住んでいて,
生徒たちを部活に誘っては酒宴を開いたり星を眺めたりして
おもしろおかしく暮らしているという話.

がめつかったり,わがままだったり,助平だったり,この人たちは死ぬ気がしないので安心できる.どうかいつまでもそうあってほしい.

天文部を舞台としているのが良くて,エネルギッシュな日常のなかに,ときおり屋上の夜風がひやり.素敵な冬のコントラストがある.


六ツ星きらり(千世)11/5発売予定.体験版にて.