バンドリ第1話 会話篇 from Twitter

3月12日

某にバンドリの話をしてみたら、バンドリの会話はおたえさんが出てきてようやく面白いものとして完成したって言ってたのだけど、第1話の時点ですっごく良くて、だから好きになったんだよ私、と応えた。

第1話はどこをどう取り出しても良いところばかりなので、会話はそうしたなかの一部分なんだけどね。

言葉を運ぶ順が面白いという一人の発話に閉じた面白さもあれば、そこだけ取り出しても面白いというふたりのやりとり、前後の長い流れも含めて面白く感じられるやりとりもある。

今夜はそれを全部挙げてゆきます。多くてごめん、と謝っとく。予め連投断るなんて珍しい? まぁそういう気持ち。

バンドリ第1話 会話篇その1. 「遅いぞ!」香澄さんが朝起きてちょっと経ってから鳴り出した目覚まし時計の音に対する返事でして、TVシリーズ初めての会話がなんとこれ。相手が人ではないこと、目覚ましの音にも負けない返事から、この日の彼女の尋常でない高揚が窺えます。

バンドリ第1話 会話篇その2. 香澄「(ひっひっひぃ……んふぅ)」明日香「(んあぁあーんあー)」書き起こすと変ですが、目覚ましとの会話に続くのは姉妹の言葉にならないじゃれ合いです。人と言葉を交わすだけでない日常会話の諸相から彼女たちの暮らしに触れてゆこうとしてるように思われます。

バンドリ第1話 会話篇その3. 姉「どう?変なとこない?」妹「耳、」姉「え?」妹「違う、髪」さっきの続き。妹は姉の猫耳みたいな髪型を指摘しますが、姉は言葉通りの耳と勘違いします。思ったままを短く口に出してるため相手に一度で意味が通らないというくだけた様子は今後何度も出てきます。

バンドリ第1話 会話篇その4. 姉「これ? にゃぁぁぁぁ(濁った声で)」 で、妹に猫耳が変だと指摘されての答えがこれ。言葉じゃなくて連想の鳴き声で返す可笑しさ。実は今日のために頑張った髪型なので、変と言われて言葉もなかったか。ひょうきんに見えてやや葛藤も感じてしまうやりとりです。

バンドリ第1話 会話篇その5. 妹「んもう、なんでそんなにテンション高いの?」 テンション高いことくらい言わずと伝わってきますが、ここではあえて言葉で確認にかかります。彼女の高揚する様は第1話の大事なところでしょうから丁寧にことは運ばれてますし、ここに妹さんの性格も感じられます。

あと、香澄さんがこれまで毎朝テンション高かったわけじゃないことも妹さんの発言で判りますが、先の話数のテンションを見た後でここへ戻ってくると、そうだったんだっけとも思えますね。香澄さんにとってこの日は特別な日で、もしかするとこれからもずっと特別な日で。

バンドリ第1話 会話篇その6. 香澄「だって、入学式だよ入学式!」 ここで《だって》を頂きました。有難や。だっての後ろにはその人だけの信念の続くことがあります。私がもう入学式の気持ちを失ってるのかも知れませんが、彼女の入学式への期待には彼女独特の向かい方が感じられて良いです。

とまぁ、ここの朝のやりとりまででも、私をぐっと掴んでくるものがあったのですよ。

ずっと昔、美少女ゲームのオフ会帰りの電車で某さんに、人間が作ったものはだいたいどこか面白い、と話したことを覚えています。そんな雑なことはないのかもしれませんが、例えば書かれた言葉にはひとつひとつそういう可能性があるって思える機会が多いような生き方を私はしてゆきたいと思っています。

先に進みましょうかね。

バンドリ第1話 会話篇その7. 母「香澄、食べないで行ったよ」妹「大丈夫でしょう」 浮き足立ってる香澄さんは遅刻でもないのに朝食忘れて出てゆくんですよね。妹さんの大丈夫でしょうは理由を投げっぱなしの面白さ。あのテンションなら何事もないだろって? でもそうはならないのよあっちゃん。

バンドリ第1話 会話篇その8. 香澄「いい匂い……」沙綾「え?」香澄「すごいいい匂いした、パンの、」 学校で隣の女の子の髪がふわっと香ったらシャンプー?と思わせといて最後に倒置でパン。朝食抜いたので嗅覚がそっち向いてます。沙綾さんはパンの匂いばかりする女の子なの?たぶん、違う。

バンドリ第1話 会話篇その9. 沙綾「うちパン屋だから。いる? パンじゃないけど」ここでパンが出てくる流れじゃなくて飴ちゃんにスライドするのも面白いです。朝食抜き、パンの香り、飴ちゃん、友達、というリズムある運びで。

なお、ここでパンが出てくるのがパンでPeace! ですよ。

毎話こんなだったわけじゃなくて、第1話がとくにわたしの元へ言葉と声のひとつひとつやその繋がりとして飛び込んできたのです。

バンドリ第1話 会話篇その10. 沙綾「戸山さん、なんでうちに?」香澄「えっとね、妹がここの中学に通ってて」 少ない言葉で背景を埋めてくなぁ、と聞いてて急かされたところですね。入学式で会った同級の沙綾さんが在校生の顔して《うち》って言ってるのは一貫校のエスカレーター組であるため。

単体で見ると普通の情報圧縮ですけど、会話では総じて言葉を削ってるなか、背景の説明のためにそうしてる箇所はそんなないので記憶に残ります。

バンドリ第1話 会話篇その11. 香澄「あ、制服好き!」沙綾「だーいじ!」 香澄さん転入の理由のひとつ。沙綾さん、いろんな返し方があると思うんですが、短く、大事、って返してるところが好き。説明し難いのですが、普通の返し方ではないけど良い言葉が選ばれてる、と思えるからかなぁ。

バンドリ第1話 会話篇その12. 香澄「あー、楽しみだね」沙綾「何が?」香澄「教室」沙綾「あ※ぁ※」 後でまたもう一度出てくる沙綾さんが聞き返すルーチンですよ。気持ちが先に生まれて、主題は聞き返した後についてくるような倒置の生成。沙綾さんのあぁに重なって抜けるブレス※※が感動的。

1ダース書いたので続きは明日にします。

4月16日

バンドリ第1話 会話篇その13. 沙綾「わたし内部生だから、なんも変わらないって言うか」香澄「でも高校生だよ、何か始まる気しない?」高校生だよ、は後でもう一度でてきます。その6で採り上げた「入学式だよ」と合わせて高校生の始まりの日へ特別な期待がありそうですが、どうしてそんなに?

バンドリ第1話 会話篇その14. 担任「順番に自己紹介しましょうか。みなさんもう高校生ですから、自己PRであることを意識してください。」もう○○ですから、は中学3年とかでも言い換えれる言い回し。節目という程度のもので、それで彼女らは、特に香澄さんは節目の日をどのように扱いたいか。

沙綾さんとしては、これまで通りの毎日が続いてゆく、というのが第1話の基調でした。転校生がやってきたことを除いては。

バンドリ第1話 会話篇その15. 香澄「私がここに来たのは、楽しそうだったからです。」「文化祭に来てみたら、みんな楽しそうで、キラキラしててここしかないって決めました。」中学の時に高校のお祭り(しかも一貫校の)を見に行ったら、キラキラしてて惹かれるというのは判るし多分それだけで。

この高校へキラキラドキドキを探しに来た香澄さんですが、中学時代はキラキラドキドキとはほど遠いどんよりとした彼女だったかといえば、妹さんの様子を見てるとそうとも思えなくってね。高校の始まりの日の彼女の意気込みについて私は想像をふくらませるばかりです。

バンドリ第1話 会話篇その16. 香澄「わたし小さいころ星の鼓動を聞いたことがあって、キラキラドキドキって、そういうのを見つけたいです。キラキラドキドキしたいです。」アバンタイトルを繰り返す台詞。キラキラドキドキが何かといえば、この説明が全てで、まずは小さいころの思い出なのよね。

香澄さんは地元の中学の頃はそれはそれで楽しくやってたのだと思うのですが、ここの学園の文化祭を見た時に小さい頃の思い出が蘇って、キラキラ、ドキドキ、って改めて思って、受験したんだろうなと。受験といえばわざわざ外部受験すると言った妹のあっちゃんだけど、香澄さんもわざわざ受験したのだ。

香澄さんは小さいころからいまに至るまでずっとキラキラドキドキを探してたわけじゃない。ここの高校で探そうと思ったのだよな。そのとき小さいころの星の鼓動は蘇っていっそう大きく響いてきた。この高校を見つけて合格したってことが香澄さんにとってとても大きいからこんなにテンション高いのだな。

バンドリ第1話 会話篇その17. クラスメートA「星の鼓動って?」香澄「えっと星がきらきらーって」クラスメートB「可愛い」この自己紹介であんま変に思われないのが一貫校がときどき見せるノーブルさで、一方、外からやってきた香澄さん本人は変に思われてないかを心配しています。

バンドリ第1話 会話篇その18. 香澄「変なこと言ったかな」沙綾「ん」香澄「自己紹介」沙綾「あ※ぁ※」沙綾さんのあぁに重なって抜けるブレス※※が感動的。その12参照。

バンドリ第1話 会話篇その19. 部員A「お姉ちゃんと来てたね、よかったね、《あっちゃん》」あっちゃん「もう、やめて」部員B「《あっちゃん》はお姉ちゃん専用だからね」香澄さんは妹さんの水泳部を見学に。家族が部活へやってきた妹の恥じらい。この水泳部との関わりが意外に12話まで続く。

バンドリ第1話 会話篇その20. 香澄「あっちゃんと同じにしようかな」母「そんなんでいいの?」楽しそうだと思って入った高校であるが、これが一番楽しいと思える部活が見つからない。妹さんのこと好きよねぇというのもあるけど、そうとでもいうしかないような、どうにも困ってる感じを受けます。

バンドリ第1話 会話篇その21. という前振りから加速してゆく面白い会話が、あっちゃん「あたし、もうすぐ辞めるけど」母・香澄「えっ!」母「なんで」あっちゃん「中3、受験生だよ」香澄「※ぁ※」母「高校行かないの?」あっちゃん「行くからでしょ?」母「って、別のところ?聞いてない!」

一貫校なので、多くの人は中学から高校へ上がっても同じ部活を続けます。水泳部を辞めるときいた母は、衝撃のあまり受験生という言葉を取りこぼして、高校も行かないのかと尋ねるのですが、あっちゃんが再度「行くからでしょ」と念押しすることで、別の高校へ行くことを理解します。取りこぼしの良さ。

あっちゃんとお母さんとではそれぞれ思ってることが違うので、はじめは会話がずれちゃってて、そこから文脈を調整してゆく様子。そこに、香澄さんの声にならぬ声※※が小さく重なってゆく、という生っぽい混乱が組み立てられています。

バンドリ第1話。でやね。あっちゃんが別の高校受験するというのは香澄さんとは別の場所へ行くことではあるんだけど、この春、地元の中学からわざわざここの高校を受験しに来た香澄さんのことを思えば、香澄さんの姿を追いかけてるということでもあるんだよね。

高校1年が節目と思える人もいれば、中学3年が節目と思える人もいるので。で、そういう妹の姿をみて、香澄さんのほうもまた改めて高校1年生であることについて思いを新たにする。

第1話は改めて見ると香澄さんとあっちゃんとの間のことが多いですよね。

バンドリ第1話 会話篇その22. 香澄「星の鼓動きいたよね」あっちゃん「心臓の音でしょう」香澄「そうかもだけど、」ここも凄い。キモと思える星の鼓動が心臓の音ではないかということは、あっさり認められるのです。だからいっそう、星の鼓動というのはそういうことを言っているのではないです。

また、香澄さんの小さいころの星の鼓動の思い出が、あっちゃんとふたりでいたときの思い出であることがここで明らかになります。やっぱあっちゃんだなー!

バンドリ第1話 会話篇その23. 香澄「そうかもだけど、ドキドキキラキラしたでしょ」あっちゃん「お姉ちゃん、もう高校生だよ?」香澄「高校生だよ」 高校生だよ、が再び。ここでは同じ言葉でも姉妹の意味するところが違ってるらしい面白さがあります。後者は、高校生だからだよ、というべきか。

香澄さんがここの高校へ入ったことに賭してるのは、まだあっちゃんには正確に伝わっていなくて、ここから12話をかけてしみじみと沁みてゆきます。

バンドリ第1話 会話篇その24. 香澄「んっふっふっふふ」沙綾「んっ、メロンパン焼きたてです」絵がないと判らない会話。よいですよね。

バンドリ第1話 会話篇その25. 有咲「偽名つかってんなら、止めるよ?」香澄「お泊まり?」有咲「違う、あんたを捕まえるって言ってんの」ここの《止める》は盆栽用語なので、有咲さんが使った意味合いには盆栽を知らないと近づけなくて、作中でもそれはそういうものとして処されます。

ここで《止める》の意味は判らなくてよいのですが、それはそうとして、調べれば、盆栽みたいにちょん切るぞ、くらいの脅しだったと判ります。そうしてみると、凝った言い方をしてしまったのを反省してか、有咲さんが「捕まえる」と言い直してるのはちょっと可笑しいです。

有咲さんが香澄さんを脅してることは、絵を見て声を聞けば判ることではあります。

バンドリ第1話 会話篇その26. オーナー「高校生かい?」有咲「ちーがいーますー」なんでやねん(笑)なめられたくないので高校生じゃないといったのでしょうけど、チケット代を損する結果に。ギャグですが、意外に有咲さんが外の人と普通に話をしているシーンです。

そもそも有咲さんが香澄さんと初対面で普通に話してることがトリックだよなぁ。香澄さんのことは泥棒だと思い込んでいたので、はじめから強く踏み込めている。

バンドリ第1話 会話篇その27. これが最後です。香澄「すごい、すごいね!」有咲「はぁ、なに? 聞こえない」香澄「すごい!」ライブの音が大きくて隣の人の言ってることが判らない。聞こえないということが会話であって、言葉抜きでも香澄さんの顔とか様子を見て有咲さんにはなんとなく伝わる。

普通を描写するうえでの会話について《ちょっと不親切な感じ》《自然な会話って相手の言葉尻を拾ってリアクションすることも》《なので、会話を書いてからさらに言葉を削ったりしています。》メガマガ2017/3バンドリ綾奈ゆにこインタビュー。三話の昼食もそよね。

会話の前提が一瞬食い違っててすぐ直すとか、話の順序が整理されてないとか、文脈は後から追いついてくるとか、正確に説明するよりは他の言葉に差し替えるとか、言葉ではない音や呼吸が伴うとか、そもそも聞こえないとか。そういう会話の諸相が見られるのが個人的には好ましいです。

ひとつ飛ばし結婚

恋愛を乗り越えてゆく前進のおはなしでした。乗り越える、あるいは、飛び越えるというほうが僕の気分には合います。

恋愛を飛び越えるための結婚でした。大好きで大嫌いでままならない恋愛だったから、恋愛なんて枷は後ろへ置いてゆこう。ジャンプだ。運命だと思えるのであれば前へ進め。

恋なんてしたくないから結婚しよう。それはゆうほど簡単な提案ではなくて。姫野永遠が宮坂終との長きに渡る苦悩の果てに至る境地です。恋なんてもうお断りでした。

宮坂終が姫野永遠を救いたい気持ちが彼の視点からはずっと描かれるのですが、天は自ら助くる者を助く、でしたっけ、姫野永遠が結婚という提案を自分でひねり出したことは彼女の未来を積極的に変えていたと思われます。

姫野永遠からの提案といえば、都築はるか、佐倉井真響というふたりの女の子への分岐も、彼女からの提案であったように思います。彼女の抱いていた白い本は、彼女の感情の失われてゆくことを示すものではなくて、いまだ書かれぬ宮坂終の3冊目の本であって、そこに埋めるべきおはなしを姫野永遠は宮坂終へと示していたのではないでしょうか。そしてそのことも、最後のひとりの宮坂終が姫野永遠へ向かう力となっています。

結婚が突拍子もない、遊びみたいに感じられるものだったとしても、姫野永遠が粘り強く導いたそのアイデアに僕は惹かれました。恋愛を飛び越えるためのレトリックとしての結婚。そして、夏の青空への飛翔がふたりを待っています。

恋人たちの凱旋

きみはね、はクリスマス飾りのような画面デザインや、詩的なタイトルの取り方が好きです。映画とかの引用である部分より、たぶんこちらはそうではないと思われるのですが、BGMの曲名が好みです。

・モラトリアムリリック (Moratorium Lyric)

 全部で6曲しかないので、作品の向きをストレートに示す題が多いようです。

 彼女たちがいま生きている時間(モラトリアム)と生きている様子(リリック)がすくい採られています。

・北風アルペジオ(Arpeggio of North Wind)

 こちらは作品の季節、12月を示していますが、北風は真っ直ぐに吹き付けてくるのではなくアルペジオを刻んで細やかな表情を見せているようです。

・きみはね (You are —)

 作品の表題曲。天使の羽根かと思わせていた《はね》ですが、英語で振られた別の題にはっとさせられます。You are ≒ kimi wa ne

・キスの向こう側 (Beyond the Kiss)

 Beyond はふたりの関係に添えたいと思えるロマンチックな前置詞です。

・モノクロームモノローグ (Monochrome Monologue)

 《天使の場合?》に沿った題で、韻も綺麗ですよね。

・恋人たちの凱旋 (Triumphant return of lovers)

 Triumph という言葉について、個人的にはわけあって聖なるものを感じています。

 (とあるフランスの聖人を称える歌にこの語が出てくるのです。)

 そういうわけで、この物語の恋人を称える上でぴったりの題だと思っているのでした。

きみはね ~彼女と彼女の恋する1ヶ月~

ああ、かわいい……。

あとは絵を取り扱う手さばきの良さ。というのはですね、冒頭の倫がはじめて画面中央に登場するところ。

立ち上がるとすらりと背が高い。

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二人が立っているところに、いちばん身長の高い三人目が登場する。それまで右下に小さく出ていた人がにゅっと高く伸びて出てくる。三人並んだときの身長差から、立ち絵っていうのは縦長に描かれた人の絵なのだよなぁ、ということをたちまちに感じる。ゲームがはじまって最初に見せるべき絵がこれなのね。立ち絵というのをまずは表情とか細かい所作を見せるためのものではなく、縦に長い絵であるという形から扱ってゆく。

そう思ってたらたたみかけるようにこれですよ。

やれやれといったていで身をかがめる倫。

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立ち絵が垂直に下がるのでした。わお。

立ち絵で身長差を表現することは別に他にないわけではないのですが、冒頭から立ち絵の形状を使って組み立ててゆく無駄のない速度に魅了されました。

それでじっくり見てると、三人とも身長差あるのにスカートのラインは一緒でね。これも絵として決まっています。立ち絵として見切れるラインで揃ってる。立ち絵で画面を構成することの魅力を感じる幕開けでした。

あと陽菜さんのユニオンジャックのマフラー可愛い。

構成といえば、人物が円で囲まれて画面に入ってくるのも良いです。さっきは立ち絵がいいって言ったけど、三人だとむしろ、垂直に立ち絵を3つ並べるより水平に円を3つ置くほうが安定しますよね。

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ああ、それにしても可愛い、可愛い……。

ところで《天使の場合?》は必ずしも全体を俯瞰する視点ではなく、あれはあれで他の娘さんたちとは独立した物語ととれます。それぞれの娘さんたちの場合において世界はフルカラーで表現されていて、天使の人の視線は反映されていない。唯一、選択の場面でのみ色がおよそ失われます。

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天使の人の話は娘さんたちの話とどこか交わってると捉えるのが妥当と思えますが、娘さんたちの話において、ほとんどの場面で天使の人の視線は絵としては表現されてません。

俯瞰する視点というのは窮屈なものです。三人の娘さんの話を描くにあたって、天使の人らしい表現は最小限、選択の場面でのみ強めに押し出されていて、ほかの場面では匿名の視点か語り手であっても通じそうな表現です。天使の人の物語はそれはそれで魅力的ですが、娘さんのお話を拘束しない向きで捉えておきたいです。これについては作中でもわざわざ断り書きがあります。

祥子「すべて偶然さ。世界を変える? 傍観者(てんし)にそんな力はないよ。人間を無礼(なめ)るなよ」

わざわざ断り書きまで入れてでも娘さんたちを外から眺める者の話を最後に置いたのだよなぁ。

選択肢にカメラや日記のようなアイコンしか描かれてなくて選ぶとどうなるか判らない運任せの進行ならともかく、実際は選択肢にはマウスオーバーでカップリングが表示されるため、そこではやはり僕が好みのカップルを選んで進めているとしか思えないのですが、それはそうとしてあるいはそこに天使が介在していたら、という sacred story でした。

《きみはね》は《君 羽根》(kimi hane)ではなく《You are —》(kimi wa ne)かも知れないというのはBGMの曲名から示される可能性で、それは、天使が誰なのかを問うことであり、Episode.01 のエンディング《Everybody x Somebody》 (xはハート印) で示される、みんなとだれか、あらゆるあなたへ贈られたクリスマスの祝福でもあります。三人の女の子を祝福する気持ちというのは、世界中のあなたを祝福する気持ちに近いくらい、大きいものなのだとしておきたいと思います。

回答の完了形

ずっと前から好きでした競争というのがあります。いわく、出会ったときから好きでした、前世から好きでした。相手より自分のほうが先に相手のことを好きだったら勝ち。そのほうが好きって気持ちが強いんだ。……これはまぁお互い不毛に時間を遡るほどふたりの好きを足した総量が高まってゆきまして、審判としましてはいつか「ごちそうさまでした。」となります。

現在から過去へ遡るレトリックは恋情の証なのかもしれません。

沙織 「知ってる? 太陽のエネルギー放射量は……」

慶司 「約3.85×10の26乗ワット」

沙織 「正解--それからもうひとつ……」

沙織 「私は、けーくんが好き」

慶司 「どうりで熱いと思った……」

最初の問いは知っていること。あとの問いは知っていたこと。

現在完了、知っている。

過去完了、知っていた。

約3.85×10の26乗ワットだって慶司の《知っていたこと》と言えるのですが、それをわざわざ《知っている》として後者の恋情に《知っていた》を充てるのならば、好きなんてとっくに知ってました! あなたが現在いまさら言うよりとっくにとっくに先に知ってました。あったりまえよ!と捉えて見せることもまた恋の取り扱いかたなのでしょう。

文脈をすっ飛ばした太陽に虚を突かれ、ワット数を背にした《好き》に撃たれ、過去的な恋愛修辞で締めて時空が一望されます。たった6行でめろめろでした。

カミカゼ☆エクスプローラー! 初回限定版

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織永成瀬の遍歴

《そう、その男の子を探す旅路の途中にいる》 そんな風に成瀬が評する少女チックな遍歴としての、Sense Off perfect drama 「WORLDS」について。

このドラマでは、成瀬の抱えているもう一つの世界の存在とそこに居る男の子のことについて、成瀬が他の女の子と順番に話をするなかで、相手の意見を聞いたり、成瀬のほうで何かを感じとったりしてゆく。

成瀬「うん。どこかは判らないけど、こことよく似た、もう一つの世界。その世界でね、私ひとりの男の子と仲良くなるの。へんてこだけど、素敵な男の子と。でも私、その子を置いて、その世界から出て行っちゃうの。だから、その男の子を探さないといけないの。」

(世界a、トラック2:もう一つの世界)

■ 第1の遍歴:珠季(1)

トップバッターは珠季。こんなナイーブな話ができる相手というのは、成瀬にとっていちばん親密な相手でなくてはならない。

珠季の意見としては、こうである。

珠季「なんだかよくわかんない話だな。」

成瀬「さっきもね、見てたの。その夢を。」

珠季「夢?夢の話だったの。」

成瀬「うん、夢。だけど、夢っていうだけじゃない、もっと切実に迫ってくるの。その男の子を探さなきゃいけないって。その男の子をひとりぼっちにしちゃいけないって。ずっと昔から、その夢を見てたの。」

(中略)

成瀬「ごめんね、変な話聞かせちゃって。なんだかどうしても誰かに聞いて貰いたくて。」

珠季「いいよいいよ、収穫もあったしね」

成瀬「収穫?」

珠季「うん。成瀬がすっごく少女チックだって判ったこと。」

成瀬「な、なによそれ、珠季だってものすごーく夢見がちなくせに。私知ってるんだからね。」

(世界a、トラック2:もう一つの世界)

よくわかんないけれど、ぜんたい少女チックな印象である、と。夢または切実ななにかの男の子のことを考えてるって告白された日にはそう思われても仕方がない。それに《珠季だってものすごーく夢見がちなくせに》というのは自分の少女チックについては認めるところもあるのだった。

■ 第2の遍歴:依子

次の相手は依子さん。成瀬とは生徒と先生という関係で、成瀬は先生に質問するみたいに「もう一つの世界」の存在を尋ねる。

依子「そんなものが実際にあるのかどうか、私には答えられないわね。観測できないものは。」

成瀬「そうですか、」

依子「ああ、一つだけ成瀬の興味に答えられるかもしれない話があった。」

成瀬「えっ」

依子「ま、話半分に聞いてほしんだけどね。量子力学に、エヴァレットっていう人が考えた多世界解釈っていう説があるの」

(世界a、トラック7:観測不可能な世界)

もう一つの世界が存在するのか。依子さんの答えとしては、回答不能、である。ただ、依子さんとしては関連する話題として話半分にという前提で多世界解釈について紹介している。依子さんの回答不能とは、もう一つの世界があるのか、世界は幾つあるのか、という具合に世界の数について考えてしまう向きに対する、積極的な保留だと思える。

■ 第3の遍歴:椎子

次は、椎子と美凪の会話を聞いた成瀬の所感より。

椎子「もともとはこんなあみだくじじゃなくて、ただ、前世から結ばれてるひとがいたらいいな、って話してたんですけど」

美凪「あーそうそう、椎子がそんなロマンスさんやって話しようと思ってたんやー」

椎子「なーによ-、その言い方、別にいいじゃない、きっと美凪は女の子じゃないんだよ」

美凪「あー、ゆーたなー」

椎子「うー」

美凪「生意気いいおってー」

珠季「なにをやってるんだか、」

成瀬「前世から結ばれてる人、か。」

珠季「え、何か言った?」

成瀬「ううん、独りごと」

(世界a、トラック7:観測不可能な世界)

前世から結ばれてる人、という椎子の言葉が成瀬にはストンと落ちてくるものに聞こえたのだろうか。少女チックあるいはロマンスさんな感性において、もう一つの世界に居る男の子とは、前世から結ばれてる人というのに似た感じ方なのかもしれない、そんな風に思えたんじゃないだろうか。

なお、椎子が前世について想うことについてはゲーム本編への参照が感じられる。ゲーム本編におけるルートは本ドラマでは成瀬の遍歴先として直列に並べ替えられている。

■ 第4の遍歴:珠季(2)

お次は再び夢見がちな少女の真打ち、珠季が登場する。

珠季「もう一つの世界か。わたしにも、もうひとつの世界に置いてきた誰かが、いたりするのかな」

成瀬「きっといるよ、珠季、わたしや椎子ちゃんより、ずっと女の子だから」

珠季「え、なにそれ」

成瀬「そのままよ。」

珠季「ううう」

珠季「でもね、成瀬の話を聞いてから、たまに思ったりするんだ。」

成瀬「え、なんのこと?」

珠季「もう一つの世界のこと。きっと、もう一つの世界ってあるんだよ。

もしも好きな人がいたとして、その人も自分のことが好きなんだとしたら、

二人の結びつきっていうのは、他の誰がいるのとも違う、その人と自分だけの世界を作り上げるんだと思うな」

成瀬「うふふ、」

珠季「なによ」

成瀬「ほら、やっぱり女の子」

珠季「う、悪かったな。」

(世界a、トラック7:観測不可能な世界)

ここで成瀬はもう一つの世界の男の子を想うことについて、少女チック、ロマンスさんな女の子説を採っている。珠季がその説を突き詰めた先には、それは二人だけの世界のことを指しているのだという女の子らしい夢見があるという。

■ 第5の遍歴:透子(1)

さて、トラック7を珠季が締めたところで、最後の相手は透子である。成瀬と透子とは1年の間をあけて2度話をしており、そのいずれも珠季が居残りで依子さんの補習を受けている間の出来事である。珠季のいないここで、成瀬はまた新しい意見を聞くことになる。

成瀬と透子の1度目の話は次の通りである。

透子「あなたが見たのは、たぶん、もう一つの世界なんかじゃない。」

成瀬「えっ」

透子「もう一つの世界、そんなものは存在しない。あるいは、あったとしても、私たちは見ることはできない。」

成瀬「そう、ん、依子さんもそんなこといってた」

透子「ただ、そのあなたの探している男の子は、ひょっとしたら、いるのかもしれない。」

成瀬「え?」

透子「あなたがその男の子を探しているように、わたしも、ある人をずっと探しているから」

成瀬「透子も?」

透子「ええ、ずっと昔、一緒だった人。」

成瀬「その人、素敵な人だった?」

透子「素敵?その価値判断の基準は、私にはなじみのないものだけど、けれど、いなくてはならない人だった」

成瀬「そう、だったら素敵なひとなんだね。私が探している男の子も、そうだから。一緒にいないといけない人だから」

透子「こうやって、空を見上げてると、」

成瀬「え、空?」

透子「ええ、空を見上げてると、その人の意識の欠片を感じることがある。もうずっと昔にいなくなってしまった人だけれど、かすかな意識の存在を、感じることがある。」

(世界a、トラック8:示唆)

もう一つの世界はあるのか、依子さんが積極的保留としたことについて、透子の意見からは《そんなものは存在しない》という言葉も交えた否定のニュアンスを感じる。しかし、透子はそれでもその男の子はいるのかもしれないという。

透子の探している人は《ずっと昔》、遠い過去のものである。透子が成瀬に対して共通点を感じ取ったとすれば、それは、成瀬の探す男の子も自分と同じように時間的に遠く離れた誰かであるように思えたからではないだろうか。

《その人、素敵な人だった?》というのはこれまでの少女チックの名残である。1度目の成瀬と透子の話では、男の子がいるのはもう一つの世界ではなく、それは時間的に遠く離れたところなのではないかという透子の考え、そして、椎子ならそれを前世と呼んだかもしれなかったロマンスさんを感じさせるが、透子は成瀬の男の子がずっと昔の人であるとは明言していないことが覗える。

■ 第6の遍歴:透子(2)

それから1年後にまた、透子は成瀬にこの話をする。透子はこの後1年間も成瀬のことを気にしていてくれたのである。有り難い。

透子「あなたの能力について、一つ、考えたことがある。」

成瀬「考えたこと?」

透子「ええ。あなたは、ひょっとして、未来を知ることができるのかもしれない」

成瀬「え、未来を知るってどういうこと?」

透子「言葉のままの意味。あなたは未来を見ることができる。予知することができる。」

成瀬「予知?何それ、わたしそんなことできないよ?だって、今日の晩ご飯のメニューも、明日の天気も判らないよ。」

透子「それは、自覚的に能力を使えないということ。無意識のうちに、未来を見ているのかも知れない。たとえば、夢という形で。」

成瀬「夢、えっ、それってまさか?」

透子「ええ。あなたの見ていた夢。それはもう一つの世界なんかじゃなくて、未来に起こる出来事なのかもしれない。」

成瀬「そんな、でも、どうして透子にそんなこと、」

透子「もちろん、推測に過ぎないかも知れない。けれど、私は知っていることがある。それを元に考えれば。」

成瀬「透子、透子はいったいなにを知っているの?」

透子「私たちの、種族の歴史。」

成瀬「種族の、歴史?」

透子「ええ。けれど、それはあなたに話すことじゃない」

成瀬「でも、それじゃあ、わたしはあの男の子に、直弥に会えるの?」

透子「会えるかも知れない」

成瀬「わたし、信じていいのかな。」

(世界a、トラック8:示唆)

遠く離れた時間にいる誰か、透子にとってそれはずっと昔の誰かであるが、成瀬にとってのそれは、ひょっとして未来の誰かなのではないか、という発想の転換である。透子の言う種族の歴史というのはここでは唐突でよく判らないわけだが、それはそうと、いつか未来で出会う誰かのことを夢見てるって、あなた、ロマンスさんですね。

少女チックは過去に向かっても未来に向かっても伸びている。それはいずれも今ではないことを想像するためである。

■ おわりに

織永成瀬の、織永成瀬たちの少女チックな遍歴を見てきた。

選択肢があろうがなかろうが、畢竟、女の子それぞれが話す声へ耳を傾けることにギャルゲーの楽しみがあると思うので、成瀬が他の女の子たちの話を聞いて回るこの遍歴にもまたギャルゲーらしい形式を感じる。

人工衛星ヒッパルコス

ギャングスタ・リパブリカ

ギャングスタ・リパブリカ

叶の悪がガラクタであるとすれば、ヒッパルコスの天使もまたガラクタということになります。

ヒッパルコスの天使は超越的な存在であると叶が言っている通りに、《あの人と会ったのと同じ日》に顕れたというこの天使は、叶が悪と出会ったことで変性した意識に伴う存在だったと思われます。そういう大きなものとの接続を感じて人生振り回されてるように見えた叶をこの世に繋ぎ止めるためのこおりの言葉は、《誰も》という大きなものでなくてはならなかったのでしょう。

誰も、かれも、もちろんヒッパルコスの天使も、溺れないように。

全称がより大きな言葉の輪で天使を上書きする。

天蓋の四分儀

ギャングスタ・リパブリカ

ギャングスタ・リパブリカ

好きなフレーバーについても触れておきたいと思います。

まずは星のこと。冒頭で柳瀬さんが《そのキーホルダーの持ち主同士は、運命的に惹かれあう》と言っていたロマンチックな空気がまだ残っている序盤に、叶は星を眺めていました。

えーと……、たしかあれがしぶんぎ座で、あれがケルベルス座。

いずれも、かつては在ったけれど今は残ってない星座です。国際天文学連合は88の星座を定めましたが、同じような夜空を見ていろんな人がいろんな国で異なる星図を描くことができます。

過去にそうであったし、きっと、未来にも。

星は遠く離れているだけでなく遠い時間も感じさせるものだと思います。いま私たちが見ているのは過去の光だということ。数千年で移り変わる北極星、過去と未来の夜空には今とはかけはなれた星の配置があることを思うからでしょうか。あるいは距離であるのに光の速さで何年という錯誤めいた単位のせいかもしれません。

叶が懐古的なロマンチックのために喪われた星座を思い描いているのか、あるいは彼らの夜空には今もあたりまえのようにしぶんぎ座やケルベルス座があるものとされているのか判りませんが、いずれにせよ、私が彼らの生きている世界をまるでずっと昔のことであるように思えているのは、過去の星座や古代の天文学者が参照されている手筋のためです。

彼らのことは例えば人間であるとか、私と同じような存在であるとしか思えませんが、その一方で彼らはループという私には実感の持てないものを当たり前としています。私が何百年か前、あるいは何十年でもそうかもしれませんが、昔の時代へタイムスリップしたら、そこで会う人々と話をして一緒に暮らす分にはまぁまぁ困らないものの、何を当たり前とするかでは実感の持てないところが出てくるだろう、私と彼らの関係を四分儀で測るならば、それくらいに離れているのではないかなと思ったのでした。

そのことで、とくに不便を感じたことはない。

ループなんてちょっとした生理現象であり、生活に便利に使えたりするようなものじゃない。

ループできないことの弊害は、『みんなと違う』ということに表れる。

(ギャングスタ・リパブリカ、水柿こおり篇)

こうした叶の所感を私なりになぞるようなところがあります。叶はループできる人々との違いを、私は、叶やそのほかのみんなのようなループがあることを当たり前と考える人々との違いを、不便ではないものの、感じとっている。

私は彼らとは同じで違う。たぶん、イェドニアの人とそうでない人みたいに、禊とそうでな人みたいに、誰かと誰かでない人みたいに。そして、誰もがそう感じとっているならば、と水柿こおりは全称で呑み込もうというのです。

こおり「誰も溺れないように--」

誰も、か。

フレーバーを拾うだけのつもりが大きなところに接続されました。これは、警戒すべきことです。

バロックの奏法

ギャングスタ・リパブリカ

ギャングスタ・リパブリカ

ギャングスタ・リパブリカ。どこで終止符を打つか迷いますが、とりあえず終わりということにしておきます。

まぁ、終止符を打ったとしてそこで終わりにしなくていい。またいつかはじめに戻っていい。終止符は反復を始めるための指標だから。

だから、ゆとりさんの奏でるバイオリンを何度でも聴いていたいと思います。

梨都子「バイオリンをはじめたころから症状は出ていたはずです」

(第2部、古雅ゆとり)

あのときバイオリンの話でふと思い出したかのように梨都子さんが言いました。バイオリンと病気とに因果関係はないのでしょうが、私は演奏されるループのことを思いました。小学生のころエレクトーンを弾いていて、反復記号で何度もループした思い出があるのです。この反復記号は、楽譜の最後まで辿り着いたときダ・カーポが置かれていれば楽譜の先頭に戻る決まりです。奏者はまたはじめから同じ楽節をプレイして、おさまりの良いところに置かれたフィーネで演奏を終えます。しかしこのときフィーネを無視して進むと決めてしまえば、ふたたび楽譜の最後のダ・カーポから先頭へ戻って、この曲は何周でも永遠に続いてゆくのでした。元より楽譜にフィーネの置かれない無限ループの曲もあるそうですが、そのときの私は、置かれたフィーネを無視して進んでも良いのではないかということ、そして、いつでも好きなときに終わっても良いのではないかという思いつきを面白がっていました。

いつまでたっても終わらない騒音。こどもに鳴り物を持たせてはならぬ、というやつです。

あの頃、気の済むまで何周も弾いていた。だけど気の済む感じってどういうことだったのか、いったいどういう気持ちのときに周回を止め、演奏を終えたのか。一曲の完成に辿り着いたのか、あるいは不意に飽きたのか。小学生の頃の気持ちはもう遠くなって、以上はいろいろ書いてみたけど全部想像で、だけどあのときループで演奏していたという記憶だけが確かにそうだったと思えています。

反復記号に沿ってループしていた頃の気持ちについてはたかだか30年を遡るにも四苦八苦ですが、せっかくなので300年ほど遡ってみると、バロックと呼ばれる時代には現代と異なる記号が使われていて、どの範囲をどんな風に繰り返すのかという習慣も異なっていたといいます。繰り返すときに同じ楽節を2回弾くべきなのか3回弾くべきなのかが曲の性格によって変わることもありました。19世紀以降は繰り返しの意義が薄れてしまったため、18世紀までわかりきったことであったループの習慣は、いまの私たちにとって当たり前にわかるものではなくなってしまいました。だから、現代の演奏家が過去の楽譜から当時の演奏を再現するには、同時代の音楽理論家の残した文献を参照しながら、実際どのように演奏されていたのかということに近づいてゆく必要があるそうです。(橋本英二「バロックから初期古典派までの音楽の奏法」より。)

バロックの習慣に思いを馳せつつ、水柿こおりがキーホルダーを探すときに回ったループについて、ループのない叶が《想像で共有ループの中の記憶を再構成した》と考えていた時のことを思います。もはや叶にとっては当たり前でなくなってしまった、習慣ではなくなったことについて、それを失う前の遠い過去や今を生きる彼女の話を聞いて叶は再構成していたのでしょうか。

彼女らにとってはループが当たり前であるためか、どういう気持ちで周回しているのかについて、体験している本人から証言が得られる機会は限られているようです。私がその、他を忘れているのかもしれませんが、唯一の証言だと思えるのが、古雅ゆとりさんが湖畔で語ってくれたことでした。

そして、

ゆとり「続けられない理由があるの、梨都子?」

私は彼ら彼女らのループについて、ずっと昔に失われたものを想像するようにしか触れることができません。古雅ゆとりさんの証言によると、あのとき、ごく当たり前のようにフィーネのその先は、あったのだと思われます。

運命の選択、というやつ。

ギャングスタ・リパブリカ

ギャングスタ・リパブリカ

店の人「人と人の出逢いが運命であるように、人とモノとの出逢いもまた運命だ」

店の人「君は、俺のいくつもの作品のなかからそれを選んだ」

店の人「そのキーホルダーの持ち主同士は、運命的に惹かれあう」

(ギャングスタ・リパブリカ、アバンタイトル)

私は毎日なにかを選びながら暮らしているのだろうが、そこにあるのはおよそ選択肢ではない。選択がカードや箇条のような選択肢として表現されるときにこそ、普段は考えることもない運命のことを思うのではないか。だから、運命とは自動的ではなく、操作的なものではなかろうか。(2015/8/10)

それがアバンタイトルまで読んだときに考えたことでした。ロマンチックな出来事を成立させるために、運命であるのにそこに選択が関与するという矛盾が導入されているのではないか。しばらくはこの初対面の印象のまま読むものとします。

ふつうのループは自然発生なのに対し、共有ループには意識的に入ることができる。

(第1部)

どちらかといえば、ループから抜けるときよりむしろ、ループへ入るときにある意図的な選択のほうが注目されているように見えます。

叶「リードシクティス・プロブレマティカス」

こおり「オオカミ」

ゆとり「うさぎ」

シャールカ「猫」

春日「ヒツジ」

希望「イルカ」

禊「ライオン」

それぞれが持つキーホルダーのモチーフを合言葉として、俺たちは8ヶ月という長さの共有ループに入った。

(第2部、凛堂禊)

矛盾、運命的に選択することの悩ましさは、暗号のような単純な言葉で包んで外へ書き出すことによって、一時的に棚上げすることができるのでしょうか。

店の人「有史以来、人は記号化(あんごうか)し単純化することによって、複雑な世界を理解する助けとしてきた」

(アバンタイトル)