バロックの奏法

ギャングスタ・リパブリカ

ギャングスタ・リパブリカ

ギャングスタ・リパブリカ。どこで終止符を打つか迷いますが、とりあえず終わりということにしておきます。

まぁ、終止符を打ったとしてそこで終わりにしなくていい。またいつかはじめに戻っていい。終止符は反復を始めるための指標だから。

だから、ゆとりさんの奏でるバイオリンを何度でも聴いていたいと思います。

梨都子「バイオリンをはじめたころから症状は出ていたはずです」

(第2部、古雅ゆとり)

あのときバイオリンの話でふと思い出したかのように梨都子さんが言いました。バイオリンと病気とに因果関係はないのでしょうが、私は演奏されるループのことを思いました。小学生のころエレクトーンを弾いていて、反復記号で何度もループした思い出があるのです。この反復記号は、楽譜の最後まで辿り着いたときダ・カーポが置かれていれば楽譜の先頭に戻る決まりです。奏者はまたはじめから同じ楽節をプレイして、おさまりの良いところに置かれたフィーネで演奏を終えます。しかしこのときフィーネを無視して進むと決めてしまえば、ふたたび楽譜の最後のダ・カーポから先頭へ戻って、この曲は何周でも永遠に続いてゆくのでした。元より楽譜にフィーネの置かれない無限ループの曲もあるそうですが、そのときの私は、置かれたフィーネを無視して進んでも良いのではないかということ、そして、いつでも好きなときに終わっても良いのではないかという思いつきを面白がっていました。

いつまでたっても終わらない騒音。こどもに鳴り物を持たせてはならぬ、というやつです。

あの頃、気の済むまで何周も弾いていた。だけど気の済む感じってどういうことだったのか、いったいどういう気持ちのときに周回を止め、演奏を終えたのか。一曲の完成に辿り着いたのか、あるいは不意に飽きたのか。小学生の頃の気持ちはもう遠くなって、以上はいろいろ書いてみたけど全部想像で、だけどあのときループで演奏していたという記憶だけが確かにそうだったと思えています。

反復記号に沿ってループしていた頃の気持ちについてはたかだか30年を遡るにも四苦八苦ですが、せっかくなので300年ほど遡ってみると、バロックと呼ばれる時代には現代と異なる記号が使われていて、どの範囲をどんな風に繰り返すのかという習慣も異なっていたといいます。繰り返すときに同じ楽節を2回弾くべきなのか3回弾くべきなのかが曲の性格によって変わることもありました。19世紀以降は繰り返しの意義が薄れてしまったため、18世紀までわかりきったことであったループの習慣は、いまの私たちにとって当たり前にわかるものではなくなってしまいました。だから、現代の演奏家が過去の楽譜から当時の演奏を再現するには、同時代の音楽理論家の残した文献を参照しながら、実際どのように演奏されていたのかということに近づいてゆく必要があるそうです。(橋本英二「バロックから初期古典派までの音楽の奏法」より。)

バロックの習慣に思いを馳せつつ、水柿こおりがキーホルダーを探すときに回ったループについて、ループのない叶が《想像で共有ループの中の記憶を再構成した》と考えていた時のことを思います。もはや叶にとっては当たり前でなくなってしまった、習慣ではなくなったことについて、それを失う前の遠い過去や今を生きる彼女の話を聞いて叶は再構成していたのでしょうか。

彼女らにとってはループが当たり前であるためか、どういう気持ちで周回しているのかについて、体験している本人から証言が得られる機会は限られているようです。私がその、他を忘れているのかもしれませんが、唯一の証言だと思えるのが、古雅ゆとりさんが湖畔で語ってくれたことでした。

そして、

ゆとり「続けられない理由があるの、梨都子?」

私は彼ら彼女らのループについて、ずっと昔に失われたものを想像するようにしか触れることができません。古雅ゆとりさんの証言によると、あのとき、ごく当たり前のようにフィーネのその先は、あったのだと思われます。

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