運命の選択、というやつ。

ギャングスタ・リパブリカ

ギャングスタ・リパブリカ

店の人「人と人の出逢いが運命であるように、人とモノとの出逢いもまた運命だ」

店の人「君は、俺のいくつもの作品のなかからそれを選んだ」

店の人「そのキーホルダーの持ち主同士は、運命的に惹かれあう」

(ギャングスタ・リパブリカ、アバンタイトル)

私は毎日なにかを選びながら暮らしているのだろうが、そこにあるのはおよそ選択肢ではない。選択がカードや箇条のような選択肢として表現されるときにこそ、普段は考えることもない運命のことを思うのではないか。だから、運命とは自動的ではなく、操作的なものではなかろうか。(2015/8/10)

それがアバンタイトルまで読んだときに考えたことでした。ロマンチックな出来事を成立させるために、運命であるのにそこに選択が関与するという矛盾が導入されているのではないか。しばらくはこの初対面の印象のまま読むものとします。

ふつうのループは自然発生なのに対し、共有ループには意識的に入ることができる。

(第1部)

どちらかといえば、ループから抜けるときよりむしろ、ループへ入るときにある意図的な選択のほうが注目されているように見えます。

叶「リードシクティス・プロブレマティカス」

こおり「オオカミ」

ゆとり「うさぎ」

シャールカ「猫」

春日「ヒツジ」

希望「イルカ」

禊「ライオン」

それぞれが持つキーホルダーのモチーフを合言葉として、俺たちは8ヶ月という長さの共有ループに入った。

(第2部、凛堂禊)

矛盾、運命的に選択することの悩ましさは、暗号のような単純な言葉で包んで外へ書き出すことによって、一時的に棚上げすることができるのでしょうか。

店の人「有史以来、人は記号化(あんごうか)し単純化することによって、複雑な世界を理解する助けとしてきた」

(アバンタイトル)

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