D.C.S.G. (竹屋蒼輔,Cherish) 3巻

ちょうど昨日読んだ.たいへんお勧めの完結巻でありました.D.C.S.S.ではアイシアが朝倉家に住んであそこの娘さんみたいになるところ,S.G.では芳乃家でさくらと一緒に暮らしているというのが一番のポイント.さくら先生はあいかわらず魔法を教えてくださらないのですけど,それは師匠と住み込みの弟子という風で,長い共同生活のうち不意に正しく語ることのできる瞬間というのが二度訪れるのでした.S.S.のほうではさくらの生来の口下手に対してアイシアとさくらが話をする時間が短すぎて,さくらが酷い人になっちゃってる.あるいは宮崎アニメのD.C.でさくらが風見学園の先生であるという話を外してしまったので,S.S.においてさくらとアイシアは関係しにくくなったんじゃないかな.それで不足している先生分を美咲さんがフォローする形になってるわけで,一方のS.G.では美咲さんを学園の女子高生として登場させています.

さくらがアイシアに魔法を教えない理由について,過去の事件ではなく生活の身近なところに拠って消化されてアイシアに伝わってる.あと,弟子が困っていたら師匠が助けに来る.S.S.の朝倉家に娘さんがいる風景も好きだったのだけど,S.G.の師弟関係はさくら的には座りのいい話.子供のアイシアではなく女子高生をしているアイシアも良い.

走る星占い

果穂が恋愛相談するのは星占いの話を共有する友人たちであるように,真琴にとって恋愛の話が出来るのはタイムリープの話を共有する魔女おばさんである.タイムリープは乙女の秘密だ.みんなで雑誌のぞき込んでいったいなにをきゃーきゃー言っとるのかしらていう姦しさと,なに転げ回ってんだよという騒々しさは,性格は違えど恋せよ乙女たちの好ましい姿態で,その傍にいた男の子がなんかよく判らんけど不意にわかったこと,理解というよりはぴんと来てしまった何かのことを恋って呼びたいわ.

時をかけるボタンはない

真琴のタイムリープはリセットボタンを押すことには相当しない.真琴のタイムリープはボタンによる自動装置の作用ではなく,彼女なりの信念に基づいた奇っ怪な行動によって発動される.そこに僕は星占いを信じて行動する少女との差をあまり感じない.おまじないのようなものを信じて走ったり転げ回っている真琴の姿を,周りの人たちは何やってんの?という目で,しかし温かく見守るのである.そして,何やってんだか判らない彼女だけの流儀を理解できてしまうというのが真琴と千昭とのラブである.ああもう,なんで走ってんだようおまえは.でも,俺わかっちまったからさ.

ごんぎつね

20年ほど前のノンフィクションを読んでいたら,「きつねは動物なのに,ことばをしゃべるのはおかしい」と言う子供の話が出てきた.それはそうかも知れないので,おかしいことについて原稿用紙10枚程度で語ればよいと思われた.そういうところからもきっとファンタジーは始まるのではないかしら.小学4年のころ,教科書に「とびこめ」という短編があった.今しらべたらトルストイの作だと言う.船長が鉄砲を持ってることがおかしいと思われたのでそのことを延々と書いたら,先生が笑ってみなの前で読み上げた.このことはその後十数年,悔しく思っていた.
5年ほど前に,小学5,6年の担任の先生と何人かの教え子たちとで同窓会があった.当時の先生の教育に,ひとりにひとつおはなしを創作して,一冊ずつ綴じて回し読みにするというものがあった.僕の作ったお話を,この先生はまだ覚えてくださっていた.

さようならサナトリウム,ありがとうサナトリウム

というわけで続いてジャーニーも見直した.盗み聞きして大誤解とか見た夢を書き綴るところも一緒だったか.もちろん今どきは真奈美のように夢をポエムして100篇あつめて詩集にするんじゃなくて,果鈴のように夢をみた端からお話にしてWebへ載せるという風に変わる.ところでちらっと見えたけど真奈美ポエムは直筆イラストつきであるところが良いね.