マイマイ新子と直角の魔法

近鉄奈良線からは毎日のように遺構を掘る人たちが見えた.いつもどこかで道路工事が絶えないように,平城宮跡の発掘も終わらないものであるように思えた.学校では小学何年生かの頃に新校舎の建築が始まって,事前発掘が行われるのを見ていた.長方形の大きな柱の跡のようなものがたくさん出てきてこれは大変なことではないかと思ったが,その上に特にどうということもなく校舎は建った.平城宮跡の端っこには昭和50年の雰囲気を残したボウリング場があって,何らかの遺構でもあるだろう田んぼのあぜ道を抜けて歩いて行くのだった.あぜ道はときに子供の自転車にも踏み荒らされた.発見された柱の穴や溝の跡は復元の過程で逆に盛り土となり,モトクロスさながら,しかし自転車を押したり落ちたりしながら進んだ.僕らはそんな風に,四角ばった遺構とともに育った.

当時は平城宮址(へいじょうきゅうし)と呼んだ.いまは址の字が使われず平城宮跡と書くため,へいじょうきゅうせき,あるいはへいじょうきゅうあととしか読めないだろう.ただし,小さい頃の僕に漢字は判らなかったので,ひらがな9つで「へいじょうきゅうし」と発音するのが最も正しい.きゅうし,って何だろう?と思っていた.道路工事と違って平城宮址の発掘は何度も同じところを掘らないから,いつしかその掘る人たちは見えなくなって,代わりにつまらない建物がにょきにょきと復元された.飛鳥ボウルのそば,先のボウリング場は平城京にも関わらず飛鳥ボウルという名であるが,そのそばに東院庭園,南に朱雀門,そしていま,1300年の祭りへ向けて大極殿が建てられている.もう僕の記憶の中にしかない遺構たちは年を追う毎にその直角度を増しているだろう.土のなかから綺麗な直角が出てくることはずっと奇妙に思っていて,10年前に掘ったばかりの穴みたいに見えたのだ.いま建っている門やら大極殿を引っこ抜いてもきっとあまり変わらない穴ぼこが残るだろう.

遺構を透かして見たはるかその向こう側に,1300年前のどんな景色を思い浮かべただろう.いや,そんな景色は見えやしなかった.そこにいまの東院庭園の壁や朱雀門があるようには思えなかった.遺構はもっと土のにおいがして,僕が雨上がりの砂場で固めたり掘ったりして遊んでいたら何か見つけてしまったような,そういう気持ちに近いところにあった.東院庭園や飛鳥ボウルから見て国道24号バイパスを挟んだ向かい側,奈良そごうの事前発掘の折には長屋王の邸宅跡と木簡の出土が話題となったが,その中でも蘇というチーズのような食べ物に関する記述がよく採り上げられていた.当時の食卓の様子を想像しようとしてもうまく出来なかった.せいぜい学研の歴史漫画で読んだような絵として再現されるくらいで,しかしそれはとても違った感じがした.ただ,木簡そのものには親しめる気持ちがした.直角にあいた土の穴に不思議はあって,埋もれかけたおんぼろの木片に何か書いてある.それは,当たりもう一本,だったかも知れない.

想像は土の上,30センチメートルくらいの世界にあった.ちょうどしゃがんで手で触れるような範囲だ.そこに高い壁はなかった.そもそも東院庭園が建つまで平城宮址に高いものは無かった.柱の跡は置き石や低い植木で示され,視線を遮るものはなく,馬鹿みたいに無駄な野原だった.転がるようにして走った.1300年前のことを思ったけれど,それはいまの僕と変わることはなくて,1300年前にもやはり土の上,30センチメートルくらいのところで泥だらけだった.そこには直角に囲まれた雨上がりの砂場があって,建物はなかった.

千年前の周防の国は詳細な歴史絵巻のようだったけれど,あれは諾子の目に映った風景でも新子の風景でも貴伊子の風景でもないだろう.新子が田んぼの風景を千年前へ繋げてゆくときの,一瞬,落書きのような絵が交じる,あれじゃないけどあれがきっと一番近いんだ.断片的で,だけど鮮やかで.喜びだけど,ちょっと焦点がずれると説明できなくなってしまうようなこと.それは土の上,30センチメートルとかの自分の知ってる狭い範囲のことでしかないのだけど,強い気持ちで.貴伊子の本棚には確か小公女があったのだけど,落窪の姫があってもおかしくないと思った.それは新子もそうで,そうした平安の少女の断片の,近くて,鮮やかで,他は曖昧な.そういや諾子も落窪を読んでたそうな.そういう不思議な繋がりとか,あるんだ.

周防の風景が落書きよりもっと詳細であるのは,彼女らの視線であるよりむしろ直角を後の世に伝えるためである.直角は人の手の証であり,水路を形作る.人工の水路はどこかありえない遠い場所から流れてくる,流れてゆく.僕は大きくなって京都で暮らすようになった.京都の人はいまから140年前の遷都から立ち直るために新しい人工の水路を掘り始めた.山ひとつ超えた近江の国から水を引こうというのである.結果,琵琶湖疏水は石造りの水路で目に見えない国からやってくる水を京都へ迎えた.この水の流れは北から南へ流れる市内の自然の川と逆行して北上する.どこかわかんないところからやってきて,ありえない方向へ.それこそ人の手の仕業であって.桜の季節に花びらが流れるのにもどこからやってきたのだろうかと想像させる.周防や防府はそのために描かれた.直角に満ちた人の手の跡は想像の原資であり,映像では描くことのできない諾子や新子,貴伊子,そして僕の視線へとどこかで繋がってゆく.

「マイマイ新子と千年の魔法」を舞台挨拶の回で見てきました.以上がその感想めいた何かでした.