リコレクション・リフレイン

最後の連城紗耶香を終えたので補足。本編でもだいたいそういう話だったといいます。

紗耶香「そうそう、そういう昔の光景をARシステムを使って三次元投影するのも面白いと思うんです」

紗耶香「今の図南の姿に重ねて、昔の図南を見られるというのも、新たな観光案内の手段と成り得る気がしませんか?」

昌信「今の案内だけではなく、昔の案内もできるわけか。いろいろな場所で年代別の変遷を追えたら、なかなか面白い発見に繋がりそうだな」

例の交通博物館の再現のために撮影された写真はそれだけで4万枚に達する。はっとするような景色には、ある程度の時間的・空間的な密度を要するだろう。紗耶香は一日100枚ペースで小学校上がる前くらいから図南を撮り続けている。日々の体験としての写真は極端に多い人で年間6万枚、数十年かけて100万枚近くに達しているという場合もある。紗耶香もやや足り無さを感じたのだろうか、最後の写真展ではいきなり上で言っていたような三次元投影までゆかない。

街の古い写真というものは個人所蔵のものを集めて公共施設でギャラリートークのようなことが行われていたりするし、文京区ならば昭和52年以降、定点・複数方向で撮った写真を残してくれていて有り難い。

http://www.city.bunkyo.lg.jp/rekishikan/history/machinami.html

これはWebではほとんど公開されてないが、館内ではすべて閲覧できるのだ。

紗耶香は自分の好きな水族館については毎年撮影していたので、それで明らかになったこともあって、やや機械的に時間や場所を意識して撮ることも大事だと思う。それで、この人のほかにそういう人がたまたま何人かいたら、あるいは公共の力も合わせて、そういうことの積み重ねで、昔を知ってる人に届くだけじゃなく、なんでだか判らないけど昔のことを知りたくてならなくなった僕みたいな人に届くのだとしたら嬉しいと思ってて、そういうこともあって最近自分も変わってく街の写真を撮り続けているのである。

いまから10年とか20年経ったとき、どうということはないこの写真をただその時その場所で撮られた記録として探してる僕みたいな人がひとりくらいはいるだろうってことは普通に信じられて、そのひとの喜ぶ顔なんか想像したりしてる。

プリズム◇リコレクション!  初回限定版

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図南という架空の街の歴史や地図への思い入れがだだ漏れよね。

紗耶香「あ、そうそう、ちょうどこのあたりなんかは、以前は大きな広場があったんですよ」

紗耶香「夏祭りの時期には太鼓が鳴り響いて、盆踊りを踊って……屋台もいっぱい出ていました」

紗耶香「温泉の湯量が激減したあたりから、観光客が減ってしまって、そういったお祭りも規模を縮小せざるを得なくなってしまって」

このか「広場もなくなってしまったと」

紗耶香「そういうことです。あの広場にはサーカスが来ていたこともあったんですが」

サーカスの突拍子なさも含めて、紗耶香が過去に見たという風景には信のおける感じがあります。秋葉原でも昔はサーカスやってたんだよ、って思ったの。

リコレクション

2007年頃のこと、記憶障害をICレコーダーや紙のメモを使ってどうにかサポートしている部分について、未来のエンジニアリングへ期待が寄せられていると聞いた。忘れないようなるべくメモをとるが、自分が話したことや無意識のことはメモから漏れがちであるし、そもそもメモを残さなければならないということすら忘れてしまう症状もある。そうした根本的なことは一定時間ごとに「メモを残すんだよ」などと音声を自動再生させて思い出せるようにしてあげる、というのも有効であるが、自動的に音声や映像の記録がとられて、必要なときに必要な記録が検索され、注意を促してくれるものがもしあればいっそう良いということだった。もちろん実現は難しい。そういうものをそういう風につくるとしたらだけど、記録されたものの意味するところがなんなのかまずは自動的に判らない。意味が判らないと検索できない。それで必要なときってどんなとき? 必要な、という文脈も自動的には判らない。なんでもかんでもは判らない。ただ、あらかじめ判ってることは判る。判っていることから手はつけられてゆくだろう。

記憶障害ではないとしても、過去を知らなくてその過去が必要な人に過去の記録を再現してあげる、ということは価値があると思う。必要なときに必要な記録の、それ、を再現してやる。どれも判ってることであればあとは手や足を動かせばいい。たとえば2006年に万世橋の交通博物館が閉館、解体される前に数万枚のパノラマ写真が記録された。その7年後に僕が交通博物館に興味をもって、過去の様子を知りたがった。そんなときにちょうど、交通博物館跡にかつての様子をAR再現するイベントが実施された。

http://ejrcfblog.com/2013/08/17.html

ここではかつて撮られた360度のパノラマ写真が、タブレット越しの現在の風景に重畳表示される。僕が元の撮影位置と同じ場所に立って、同じ角度に合わせて、そうすると再現システムが動作開始する。僕が立って意味のある位置や向きは限定されるのだけど、それでもなお過去に行けない僕にとってこれ以上うれしいことはなかった。解体前の交通博物館の定点パノラマがあって、見たいものがあるときに、見たいものを、僕は見た。

プリズム◇リコレクション!において、妹であるこのかの記憶障害をサポートするのはそうしたARの一種で、実験の段階では特定の位置に立つと過去のその場所での体験が記録された映像が再現される。位置の発見ははじめ偶然だったが、二度目以降は意図してその場所に立てば何度でも再現することができた。2040年代の技術として位置の同定が今よりも高い精度になってることは冒頭から描かれているのを踏まえつつ、話は2040年から見た未来技術へと展開してゆく。それは上に書いた未来のエンジニアリングに近づく内容である。

観光案内を目的とする☆☆☆部において、カメラマニアの連城紗耶香は写真記録とともに街をつくりあげてゆく。記録と記憶は同じではないだろうが、このかの場合、タイトルが連想させるよう光学的に記録されたことの集まりが記憶らしきものを形作っている。

その記憶らしきものは記録であるがゆえに、自分にとどまらず他の人の目にも触れうる状態で残されてしまう。初咲雛乃がこのかに見られてしまった自分の恥ずかしい過去をデータから必死に消そうとしたように、これに伴う問題はしかし、一般には最も隠したほうがよいだろうインセストの事実が部員をはじめとする関係者全員に認められるに至ってはなるほどちいさなことに思えてしまうな。

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折り目正しいひとの多いところが好みです。

温泉でも行こうなんていつも話してるトゥナイト

関東いる間に東照宮へと思ってるうち何年も経って、ようやく家族で行ってきたけど、日光が思い出になるとともに日光へ行きたいと言ってた長い間のことも思い出となってしまった。

どこそこ行こうってはなかい口約束重ねることも、それはそれでかすがいやねぇ。

夏姫さんと早生さん、ふたりで京都へ旅行しよ、って何度も言ってるけど最後まで実行しないあたりに好感です。

落語を暗唱するうちに処しようのない気持ちが整理されてゆくのも。

Berry's 初回版

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エレガントっていうのはそういう端々に。