食事に困ること

イージス5については1巻に顕著であるが,誰もまともに飯を作れないという点に興味を引かれる.食事についてはD.C.の朝倉兄妹の暮らしも似たものとして思い出される.そこでは誰かが出来ない分を他の誰かが埋めるという連携が採られない.食事のような大きな問題について出来ること出来ないことの最適な配置がなされないのは,別の部分の,つまり彼らが出来る限りにおいての連携を引き立てているとは言えないだろうか.

とか堅苦しく言うような話ではないか.いつにもまして頭悪そうな文だ.上の2つについては,若い人たちの懸命さや結束は衣食住のような暮らしの根っこの部分では結果を出しにくく,気持ちにおける世話のほうが目に付きやすいということで.

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