夕方頃.

今日は鴨が沢山いて嬉しかった.20羽くらい.鴨の数だけ幸せはあるよ.

数羽,川の真ん中で寝てたりした.

ここ一ヶ月くらいの観察の成果

「鴨はあまり泳がない」

川の真ん中でも足のつく場所にいる(だから寝てても流されることはない).賀茂川は雨降りの翌日でもない限り,鴨の足でも立てるくらいの深さなのだ.増水して流れの速い日は,草の陰になって流れない水たまりのほうに退避する.

彼らが泳ぐのは狩りの時だ.泳ぎながら時折水中にくちばしを突っ込む.

鴨だって始終泳いでいては大変なので,立っているか流れのない場所で浮かんでいる.純粋に移動するだけならば彼らは泳ぐ必要がない.

だって,鴨は飛ぶのだ.

Clear

春乃っち.たいへん面白かった.どう面白いのかについてあまり長くは話したくなくなったので,捌きが上手いなぁ,という主旨のことを以下4000文字くらいで説明すると思いねぇ.

面白くないことがあまりないという僕がお目出度いのが半分,あとはここ何年もの間,ギャルゲーって豊作なのだよな,多分.

青葉の滝を見に行こう

多くの人が読んで理解できる以上,そこに描かれたものは人間でしかないというのは前提で.そうでなくとも,結婚して春になったら二人で自転車で青葉の滝を見に行こう,などという胸キュンな発想をする者に対して人間らしくない,と感じるのは難しい.つい人間らしい(と自分が思っているような)言動をしてしまう自分を理解しつつも,一方で自分は人間では無いんだと思わずにはいられない,という心境を太宰の人間味あふれる文章のリズムで描いたのが人間失格である.

http://www.moon-stone.jp/ms06clear/06_chara2.html

ここで自覚力の面倒臭さは,自分が変人ではないということすらも同時に自覚できてしまう点にある.行野光一は辞書引くのが好きだったりプロレタリア文学とか読み漁ってそうな,進学校とか大学の文系サークルに行くと一人か二人は交じってそうな男の子で,ついでに自分の特殊な血筋のこともあって人間失格がたぶん座右の書なんだろう.この人もついうっかり人間らしい言動をしてしまう自分を理解しつつも,それでもなお人間を演じている自分についてぐるぐる考えてしまう.伝法な語り口が魅力,というか可愛らしい.

冒頭の引っ越し先に辿り着くまでが大変良いです.まぁ確かに気遣いに長けた人ではないので,到着早々,女の子に自分の荷物を持たせてどっか行っちゃったりするわけであるが,それを直後に大後悔するんだ.その後に別の大きな荷物持ってる女の子に会うんだけど,会って間もない人の荷物を持つのはまずいよなと悩む.また最初の女の子に会って,今度こそ人間らしく!といざ行為に移してみたら,じつは見た目より軽い荷物であって上手くゆかない.という普通の青少年っぷりを発揮する.いやこの女の子の荷物持つか持たないかで延々迷走するのが素敵でねぇ.人間の優しさについてうっかり考え過ぎてしまってる人ですわ.行野君には悪いけど,僕は楽しくってここ数日のストレスが吹き飛んだ.語り口でそんなに読者を喜ばせんでもいいよ!と思うのだが,そこが太宰スキーの矜持か.

周りの女の子とか爺さんが,彼の気遣いのないところをいちいち注意してくれるのが優しい.おそらく彼は,誰かと青葉の滝を見に行けるのであろう.あと行野君の内言以外はこなれたギャルゲー文なのでバランスが取れている.企画・シナリオは呉(D.C.のことり,頼子さん).

青葉の滝を見に行こう

多くの人が読んで理解できる以上,そこに描かれたものは人間でしかないというのは前提で.そうでなくとも,結婚して春になったら二人で自転車で青葉の滝を見に行こう,などという胸キュンな発想をする者に対して人間らしくない,と感じるのは難しい.つい人間らしい(と自分が思っているような)言動をしてしまう自分を理解しつつも,一方で自分は人間では無いんだと思わずにはいられない,という心境を太宰の人間味あふれる文章のリズムで描いたのが人間失格である.

http://www.moon-stone.jp/ms06clear/06_chara2.html

ここで自覚力の面倒臭さは,自分が変人ではないということすらも同時に自覚できてしまう点にある.行野光一は辞書引くのが好きだったりプロレタリア文学とか読み漁ってそうな,進学校とか大学の文系サークルに行くと一人か二人は交じってそうな男の子で,ついでに自分の特殊な血筋のこともあって人間失格がたぶん座右の書なんだろう.この人もついうっかり人間らしい言動をしてしまう自分を理解しつつも,それでもなお人間を演じている自分についてぐるぐる考えてしまう.伝法な語り口が魅力,というか可愛らしい.

冒頭の引っ越し先に辿り着くまでが大変良いです.まぁ確かに気遣いに長けた人ではないので,到着早々,女の子に自分の荷物を持たせてどっか行っちゃったりするわけであるが,それを直後に大後悔するんだ.その後に別の大きな荷物持ってる女の子に会うんだけど,会って間もない人の荷物を持つのはまずいよなと悩む.また最初の女の子に会って,今度こそ人間らしく!といざ行為に移してみたら,じつは見た目より軽い荷物であって上手くゆかない.という普通の青少年っぷりを発揮する.いやこの女の子の荷物持つか持たないかで延々迷走するのが素敵でねぇ.人間の優しさについてうっかり考え過ぎてしまってる人ですわ.行野君には悪いけど,僕は楽しくってここ数日のストレスが吹き飛んだ.語り口でそんなに読者を喜ばせんでもいいよ!と思うのだが,そこが太宰スキーの矜持か.

周りの女の子とか爺さんが,彼の気遣いのないところをいちいち注意してくれるのが優しい.おそらく彼は,誰かと青葉の滝を見に行けるのであろう.あと行野君の内言以外はこなれたギャルゲー文なのでバランスが取れている.企画・シナリオは呉(D.C.のことり,頼子さん).

ごはん

中高生の人間は料理できなくて普通,が持論でしたが,そろそろこれを30歳まで引き上げたいと思います.やんなくていいんなら,なんか色つけときたいか趣味でもなきゃやんないってばよ.男女問わない.

先週末はたこやきパーティーだった.この弟気質の男を捕まえて優しいお兄さんと評するのはありえないので.僕が弟であることを説明した.みなさん僕より年下なので勘違いしてるだけだと.責任放棄かなぁ,といつも思わないでもないが,兄的なリーダーシップは持ち合わせてない.ただ年の差があるので公的な場ではその差に求められる当たり前のことだけはしようとするが.

もしかすると,兄,というものには導き手以外の意味があるのかも知れない.自分に話をさせてくれるとか,だいたい誉めてくれるとか,若い人にとっての表層的な都合良さも兄であるのかもしれない.いや,それ弟だろ.うむ,はい,やっぱ年の差以上に兄というのは定義できっこないね.俺が悪かった.存分に兄と呼んでくれ給えだわ.

ef – the first tale

羽山ミズキが出てきたとこまで.

立ち絵よりもスチル中心の絵作り.てか,映像でいうところのショットをスチル+文字+音声に置き換えて繋げたもの.ということはつまり,基本的には背景となる絵をショットの数だけ(たとえば撮る角度の数だけ)作らなきゃならんということです.死.

しかも背景の絵で画面を支えなきゃならんから,それぞれ十分な描き込みが必要になる.というわけで,ゆうろさんという超絶背景画家がいないと成立しない,という感じです.人物のロングショットが多いのも特徴だけど,これって人物もゆうろさんだよねぇ.ゆうろ劇場.

それ以外んとこは乾いた雑巾をさらに絞るような細かい努力の話.背景も出来そうなところは使い回したり,ズームとかレイアウト変更をして枚数を削ってる.目パチ,口パクで間を持たせる.立ち絵も時々使う.言うなればセミスチル.

メカニカルな処理,たとえばCGの雲を流したり波がきらきらしたりというのはコンピュータゲームのほうが馴染むわけだけど,efについてはそれがゲームとアニメで逆転する.アニメのほうがメカニカルな効果でもって画面を支えている.しかし,パーツを動かすのは嫌うのかと思いきや,突然TLSの下校会話が交ざるので驚く.しかも背景は二重スクロールだぜ.嬉しそう.全体の流れからすると変だったけど,景ちゃん可愛いから良いか.

アニメ版の台詞はだいたいゲームのほうから取ってる.スチル中心に組み立てるところも含めて,ずいぶん原作に忠実な,あるいは原作の意図を過剰に汲み取ったアニメ化だったのだなと思う.

鏡遊がメインであるっぽいのだけど,御影らしさも散見される.新藤景の話しぶりが三通りあるなんてまさにそうね.お兄ちゃんモード,広野先輩モード,バスケ部の先輩たちからうつってしまった男言葉の三つ.広野紘の与り知らぬバスケ部からの影響が見えるのが嬉しい.友達がいそうでね.彼女の生活はお兄ちゃんのほうだけを向いてるのではなく,バスケ部のほうにも開かれている.一方,みやこはと言えば携帯を盗られた時に,どうせ家族のしか番号入ってないとさらっと言うのであるが,そこはなんか気づいてやれよ広野紘,である.

なおアニメ版ではこのバスケ部口調は省かれてる.まるで芳乃さくら(D.C.ファーストシーズン)のようだ.おそらくは景ちゃんをほかの二人より一歩下がらせるっていうシリーズ構成上の変更.

メタスレ

バーチャルコンソールって何があるのかなぁ,と見てたのだけど,こちらもラインナップにあった.さすがに今となっては思い出の品という感じだ.あとは水姫に見せたい,というくらいかしら.

KAZeがクレジットに入ってるのだけど,なんでだろ.