青葉の滝を見に行こう

多くの人が読んで理解できる以上,そこに描かれたものは人間でしかないというのは前提で.そうでなくとも,結婚して春になったら二人で自転車で青葉の滝を見に行こう,などという胸キュンな発想をする者に対して人間らしくない,と感じるのは難しい.つい人間らしい(と自分が思っているような)言動をしてしまう自分を理解しつつも,一方で自分は人間では無いんだと思わずにはいられない,という心境を太宰の人間味あふれる文章のリズムで描いたのが人間失格である.

http://www.moon-stone.jp/ms06clear/06_chara2.html

ここで自覚力の面倒臭さは,自分が変人ではないということすらも同時に自覚できてしまう点にある.行野光一は辞書引くのが好きだったりプロレタリア文学とか読み漁ってそうな,進学校とか大学の文系サークルに行くと一人か二人は交じってそうな男の子で,ついでに自分の特殊な血筋のこともあって人間失格がたぶん座右の書なんだろう.この人もついうっかり人間らしい言動をしてしまう自分を理解しつつも,それでもなお人間を演じている自分についてぐるぐる考えてしまう.伝法な語り口が魅力,というか可愛らしい.

冒頭の引っ越し先に辿り着くまでが大変良いです.まぁ確かに気遣いに長けた人ではないので,到着早々,女の子に自分の荷物を持たせてどっか行っちゃったりするわけであるが,それを直後に大後悔するんだ.その後に別の大きな荷物持ってる女の子に会うんだけど,会って間もない人の荷物を持つのはまずいよなと悩む.また最初の女の子に会って,今度こそ人間らしく!といざ行為に移してみたら,じつは見た目より軽い荷物であって上手くゆかない.という普通の青少年っぷりを発揮する.いやこの女の子の荷物持つか持たないかで延々迷走するのが素敵でねぇ.人間の優しさについてうっかり考え過ぎてしまってる人ですわ.行野君には悪いけど,僕は楽しくってここ数日のストレスが吹き飛んだ.語り口でそんなに読者を喜ばせんでもいいよ!と思うのだが,そこが太宰スキーの矜持か.

周りの女の子とか爺さんが,彼の気遣いのないところをいちいち注意してくれるのが優しい.おそらく彼は,誰かと青葉の滝を見に行けるのであろう.あと行野君の内言以外はこなれたギャルゲー文なのでバランスが取れている.企画・シナリオは呉(D.C.のことり,頼子さん).

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