今も各地に残る弘法井戸の伝説では,弘法大師が杖で地面をひと突きするとそこにこんこんと水が湧き出てきたのだと言う.水はどうして生まれたか,川はどこから始まるのかという類のことは,お話としてしか言い表すことが出来ない.ここは何某川水源地であるという看板を河川の上流域へ行くとよく見かけるが,この看板は神話の零落した姿であると言える.
水源の物語といえば小説ならば早見裕司の「水路の夢[ウォーターウェイ]」,映画ならば石井聰亙の「水の中の八月」が好きだ.いずれの話も街の水源となる地が核心に置かれ,前者は東京の水源である小河内ダム,後者は水の中の博多市であるところの玄界市の水源地,弥呼山が重要な舞台となっている.また,主人公が高校生の少女で水に触れることを好んでいる点,水源地にまつわる宇宙的存在と交感するに至る点でも偶然に一致しており,偶然でないとすればこれは今時おばあさんと弘法さんよりは女の子と宇宙的存在のほうが納得を得やすいということなのかも知れない.
こんなことを考えたのは,さっきまで水の中の八月を見直していたからである.最近夜眠れなくて今日もどうしようかと思っていたが,ふと友人から何年も借りっぱなしであったビデオのことを思い出した.おそらく「エコエコアザラク」のために貸してもらったのだったと思うが,その後ろに水の中の八月も入っていたのでエコエコに引き続き見ることにした.懐かしい.僕の水好きはこのあたりに端を発するが,水源地の看板について云々し出したのは最近のことであって,原点に戻ってみると非常に面白かった.なんと弥呼山の水源地にもやはり「湧水源」などという看板が立てられていたのである.両作品の美しさは,立て看板やダムの名前に宿る小さな神々が少女の手によって宇宙的なスケールへ広がるところにある.
それにしても15歳の小嶺麗奈がほんとうに綺麗で息を呑んだ.彼女が出てきた瞬間,体がきゅっとして,その後全身から重苦しさが抜け落ちていった.はるか昔,好きだった人のことを思い出したような感覚で,いや,事実,当時の僕は彼女のことが好きだったのである.そのことを久しぶりに思い出した.
渇ききった博多の街に雨が降る.映像が終盤に差し掛かった朝方,この京都でもちょうど雨が降り始めた.今日の夕方には台風が上陸するそうである.
では,おやすみなさい.
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水路の夢は絶版であるが,電子書店パピレスで購入することが出来る.