暗記術

すなこ流暗記術がいつ誕生したのかは定かでないが,中学にあがってから次第に教科書やノートに占めるチェックペンの面積が増えていったのだと思う.しまいにはページに助詞しか残っていなかったり段落がまるまるチェックペンだったりしたものだから,チェックペンの意味ないやんとは言われたものだ.しかし,おそらくページ上の位置やときどき覗いて見える助詞が記憶の手がかりとなっていたのだろう.

そのうち,前日の寝る前に覚えたチェックペン下の文字は翌日けして忘れないでいられるという,なにか自動めいた現象に気づいたので,僕のテスト勉強は覚えることよりむしろ,前日までにいかに覚えるべき資料を集めて完璧にチェックペンを引いておくかということに集約された.一夜漬けのようなものなので記憶は三日と持たないが,その一夜漬けを毎日繰り返していれば記憶は永遠である,という理論に基づいて,僕は高校の最終学年を過ごした.しかし覚えるべきページは日に日に増えていって,とくに布団に入って目を閉じてからもう一度すべてのページを思い出してみることが重要だったから,自動,といっても神経に負担はかかっていたのだろう.大学に入ってから1年経って,このやり方が僕の頭と体をおかしくしてるんじゃないかと思って暗記術を捨ててみたら,学ぶ方法というのがまったく判らなくなっていた.そして,記憶力もなく,学びかたも判らないまま今に至る.

学んだというつもりがないのに単に長く続けたというだけで上達した自分の絵やものづくりの技術について僕が信用してるのは,判らないにも関わらず,確かであるからだ.他は全部嘘ばかりだ.

雪村杏ではないが,ぼんやりな人になっちゃったけど今後ともよろしく,というこの十余年である.

今もまだ布団に入ったあと緊張してしまうのはかつての名残であると思うので,義之くんと一緒なら眠れるようになった杏がちと羨ましい.エンディングのぼんやりとしたスチルと周りの面々の相変わらずな対応にも幸がある.

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