Φなる・あぷろーち(2)

西守歌編,途中まで.

明鐘編では,締め落とす,薬を盛る,までだったが,こちらでは脅迫までしてしまう.さすがに怒り心頭に達した涼は,唯一の対抗手段を取ることになる.内容はなんであれ会話を続けることは涼にとって分が悪いため,その手段とは当然,決して会話しないというものである.

ふと気付いたのであるが,西守歌は涼以外の人たちにはとても可愛がられていて,それは彼女が彼らの中で最も年下であるからではないだろうか.西守歌は早生まれの高校一年生で,同学年の明鐘よりも年下という気がする.そして明鐘以外の学校の人たちとは2つか3つ離れている.彼女が無理に高校二年生の授業を受け,クラスの人たち(大きい人たち)に丁寧語で話すのを見ていると,彼女の育ちもあるとはいえ友達というよりは後輩のような感じがする.そうすると,彼らが西守歌に注ぐ眼差しは後輩に注ぐそれであるように見えてくる.そこで,無視を決め込んだ涼に対して,彼らはいろんな方向からやめさせようとしてくる.明鐘は西守歌が可哀相だと涼に訴える.美紀はそんな風に明鐘が困っているのを見て,明鐘を可哀相な目に遭わしてやるなと文句を言う.笑穂は脅迫された涼の気持ちを理解しつつも,相手が幼いから大目に見てやれ,また,本人の事情を敵視することと本人を敵視することは分けてやれと笑穂ならではの理屈を説く.明鐘が手を回した百合佳さんからはお姉ちゃん力で説教される.春樹にはいつもみたいにドライに斬って捨てられる.無視を始めた当初,涼にとって西守歌と話すことはいいことが何もなく,無視する戦略をとったことは筋が通っていたのだが,話が涼と西守歌との間だけでなくその周囲に広がった結果,押しかけ問題を保留して会話を再開できる余地が作られている.これは誰か一人の言葉が決定的であったというよりは,いろんな人が自分なりに押しかけ問題を解釈してくれて一人で抱え込む必要がなくなった,そのゆとりであると思う.それは会話の深さというよりは幅によってもたらされる.

涼が押しかけに屈しない意地を変えないままに,恋愛の成り立つところが面白い.それはどこかで騙されていて,1つは坊主憎けりゃ袈裟まで憎いのたとえである.話の前後をみるに涼は「坊主=権力」「袈裟=西守歌」のつもりで言っていたようだが,ことの起こりの時点では「坊主=西守歌」「袈裟=権力」で,袈裟とは坊主が進んで着るものであり,袈裟が憎けりゃ坊主も憎いという構図だったはずである.するとこの逆転によっていつのまにか袈裟を着ている坊主の意思が問われなくなっている.ことわざを持ち出すことによって自分の気持ちの変化を支持し,なおかつ何気ない転倒のあるところが恋の面白さであると言える.そして最後に決定的なものとなったのは明鐘が作り出した会話的ゆとりである.権力による押しかけには意地を張るのに,権力による引き裂きには意地を張らないのかと彼女は訴える.意地を逆手にとってぶつけるこの言葉は有効打であって,涼の意地を一時的に保留して西守歌へ会いに行くことを可能とする.そして保留することによってようやく涼は押しかけに対する謝罪を得ることになる.

もちろん,西守歌の押しかけは涼と西守歌の会話の中でも保留されている.これは涼による無視が解けて以降,ほぼ最後まで続けられることになる.

西守歌「涼様ったら…….それが,かわいい許嫁に向かって言うことですの?」
涼「誰がかわいくて,誰が許嫁だって?」
西守歌「……やりますわね.両方同時に否定なさるなんて.」
明鐘「……?」
よく飲みこめない様子の明鐘に,俺は笑ってみせる.
涼「いいか? 『誰がかわいいって?』と言ったとする.」
西守歌「あ,許嫁だと認めてくださるんですね?」
涼「逆に,『誰が許嫁だって?』と突っこんだとする.」
西守歌「あ,かわいいと思ってくださってるんですね?」
涼「……と,まぁ,そういうわけだ.」

φなる・あぷろーち(西守歌編)より

これは涼による無視が解けた翌朝の二人の会話である.涼が西守歌に対して有効な反論が可能になるのは西守歌のやりくちを深く理解した後である.反論に成功したときほど二人は仲が良いように見えるのである.表向きの言い合いが実はじゃれ合いになっていることは二人の明鐘に対するくどいような説明に見て取ることが出来る.西守歌が押しかけによって涼を侵害したことは長い間保留されるのであるが,その間に二人は言い合いの形をしたじゃれ合いを繰り返すことによって,いつか侵害状態が解消され親密状態になるための準備をしているようにも感じられる.

人の家に押しかけるということは人を侵害すると同時に親密にする行為でもある.あるいは人同士が密接するのは極端を言えば喧嘩のときか愛するときかのどちらかである.狭い空間に複数の人が居るときには拒否すべき/受け入れるべき両極の相がみられるわけであるが,本話ではそのどちらでもあり得る空間が親密の相へシフトしてゆく様子が無理なく描かれており,そこにはこうして一つ一つ要素を拾い上げていったところでまだ取りこぼしがあるような,不思議な心地よさがある.

ただ僕の本心としては明鐘編(いつか笑顔で……)での選択が正しくて,以降はifの流れである.僕はあんな形の押しかけをしてくる人に対して少しでも恩情をかけられるほど心が広くないです.選択に関しては,自己主張の激しい主人公というよりは,それに対応する周りの人間のありかたのほうが影響を受けました.相談を持ちかけることが出来たり心配してくれる人がたくさん居るため,それが僕に転移して,僕自身が誠実であることが引き出されたように思いました.そうすると明鐘編以外の流れでは嘘が交じっていることになってしまうのだけど,春樹がそれを許してくれそうな,そういう余裕すら作品から感じられます.


φなる・あぷろーち (通常版)

φなる・あぷろーち (通常版)

水姫から初回版を借りていたけど通常版を買いました.通常版ですらどこにも売ってなくて探すのに苦労しました.

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