新・部長生徒

京都は着だおれ,なにわ食いだおれというが,大仏商法はかけ声だおれである.六ツ星きらりの舞台である奈良をモデルとした街,星城京は着だおれと食いだおれが両方揃っているというのだが,そうと判ってあえて言ってるのだろう,星の代わりに涙が流れる.

古都奈良に都会というものはそぐわないと前に書いたが,僕が高校生であった1990年代初頭には奈良はこれから都会になるものだと信じていた.それは奈良の寺社群をパビリオンとして見立てる世界建築博が計画されていた頃のことで,駅前や三条通りの整備が始められていた.JR奈良駅の南の広大な土地には三越が入るという噂で,それがまだ見ぬ都会のシンボルだった.その中で古都を代表するものとしてにわかに掘り起こされたのが奈良町の存在であり,1994年の都市景観形成地区指定に前後して道や観光案内の整備が行われ,市民の周知するところとなった.僕はというと歴史の宿題か何かのテーマに奈良の町並みの変遷を選んだことや友達がそこに住んでいたこともあって奈良町に親近感を抱いていた.

あらかじめ断っておくとこの世界建築博は頓挫しており,1998年の開催予定まで三年おきに行われたトリエンナーレだけが夢の跡みたいに記憶に残った.これは,その記憶のお話である.

僕の中学高校の所属クラブは歴史部で,ついでに言うと中学三年から高校二年までの間,部長を務めていた.顧問の先生が不干渉のクラブだったので,今にして思うと子供の手だけでは何をすればいいのだか判らなかった.目標だけは明らかで,年に一度の文化祭.そこで教室一部屋を使ってパネル展示を行うのである.活動内容はまず冬には歴史の教科書に載っているような事柄で自分たちの興味のあるテーマを挙げていって全員で取り組むものを多数決などして決める.多数決になればまだいいほうでそもそもテーマが提案されない.春には図書館へ行ったり本を購入して文献調査を行う.夏になると数年に一度は合宿を行い,現地調査を行う.そして9月の終わりに展示を行う.ここで部長の仕事はといえばテーマを出すことと,雑談モードにいくらか歯止めをかけることと,展示作成の指揮を執ることであった.しかし,展示へ向けてお尻に火が付く夏休み以降を除いて雑談クラブであったという記憶しかない.そこで話していた内容ももうほとんど覚えていない.歴史部という名前に釣り合う活動はしなかったのだけど,そこは僕が入った時からそんな感じで,そういうものだと思っていたし,大人も子供も幸か不幸かそれに文句は言わなかったのである.

それでも楽しかったのはそこに部長が居たからだったと思う.僕らが入部したとき部長は中学三年生で,高三で部活動を止めるまでの三年間,あのクラブは部長のものだった.ややこしいが歴史部には中学歴史部と高校歴史部があり,その年によって活動が別れたりくっついたりする.部長は身体がでかくて顔も大きくて,それだけでもずいぶん徳を備えていたと思う.押しが強くて頼りになると素朴に表現できてしまうような素敵な人だった.僕が中学三年のとき部長は高二で,僕も中学歴史部部長であったがこの年は合同で活動したためおまけのような肩書きだった.瀬戸内海の水軍を調査するため廃線前の下津井鉄道に乗ったり大三島へ渡ったりした.僕にとって部長が居るクラブの思い出はここまでで,そこから先は自分が部長であった.

高校一年二年の間はテーマを出す人間がほかに居ないもんだから僕の趣味がまるまるテーマになってしまった.これが非常に間違っていて,もともとミーハーで幅広すぎるテーマを扱う伝統があったものだから(邪馬台国とか川中島とか水軍とか)そのころ好きだった日本古代史を選んだ.おそらくは宇宙皇子の影響であるが,それにしても広すぎる.正直,何を展示したか忘れた.高二のときは滅亡史である.輪をかけて広いがこれも単にコンスタンチノープルの陥落を含む何かをやりたかっただけであったと思う.あとはとにかく絵を描いた.ポスターに大きな絵を描くのが楽しくて仕方なく,歴史の展示というよりは観光ガイドのようであった.しかし,これが展示の大賞を取った.勝てば官軍である,なんて当時は思っていたが,今にしてみれば内容にしても本を引き写してまとめただけのもので恥じ入るばかりである.このごろ京都の旧跡を訪ねて回るようになってからようやく思うが,せっかく京都の学校へ通っていたのに足で町の人の話を集めるようなこともせず本の中の遠い世界だけ見ていたのはもったいなかった.学校の部活動で調べてるんですと言えば菊の御紋で,京都の町の人には何かと便宜をはかってもらえたはずである.

ただ,高二の時に僕は二つテーマを用意しており,実際に熱が入っていたのは選ばれなかったほうのやつであった.それが奈良町の調査で,ルーズリーフ4ページの当時としてはおそろしく力の入った,そしてカラフルな企画書を用意して見せたのだけど,京都の人にとって奈良は僕ほどに縁が感じられなかったのか,その後ろにあった数行ほどの企画のほうが選ばれてしまったわけである.僕が奈良町の話をしたがる理由の一つにはその時の無念がある.

部長としては貫禄もなく歴史に造詣が深かったわけでもなく,下級生の子たちに申し訳ないことをしたと思う.それが今でも素敵な部長像への憧れになっていて,僕は涼宮ハルヒや天河輝夜の中にそれぞれ理想を見るのである.

「天河輝夜.部長よ.なので,全員,私の言うことには従うように.あとは……」
「面白おかしく毎日を過ごすように心がけなさい」

”六ツ星きらり”より

それは,百億の昼と千億の夜を部室で過ごす,臆面もない天文部讃歌だった.宴会好きで,気前が良くて,きまぐれで,なぜだかずっと高校三年生をやっていて,ずっと歳をとらないのだけどそんなこと誰も気にしてなくて,町の人みんなに愛されている神様みたいな人が,ずっと部長をやっている天文部で,「飲めや歌えや,食べろや恋せや.」(智樹),そういう話.

ありえない過去を追いかける僕にも一つだけ,救われたように思うことがある.高校を卒業して何年か経ってから僕のところに家庭教師の依頼が来た.彼は僕が中学三年の時に入部してきた新入部員で,僕が高校歴史部部長になってから中学と高校は合同していないため,ただの一年だけ一緒だった.あまり話もしなかった.それでもなんだか僕のことを覚えていてくれたらしく,物理と化学を教えてほしいと言うのだった.彼は奈良町に住んでいて,それから一年,僕は彼の住む奈良町に通った.生まれついての弟気質である僕が兄のような気持ちを持ったのはこれが初めてで,人に頼りにされるのが心強いことであるのを知った.


これまでのお話.ずいぶん書いたね.
六ツ星きらり
部長生徒
未来世紀ならまち
六ツ星きらり,発売
星空マークシート
星は,すばる
うつくしきもの
 (六ツ星のライターも女の子に古文を読ませるのが好きらしく,天河輝夜もまたある作品の一節を朗読する.)

六ツ星きらり

六ツ星きらり

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