AQUARIUM(うた∽かた#11#12)

新しい物事とたくさん出会う年頃,それが何歳であるかは人それぞれであるが僕だったら13歳から23歳くらいまでの間,頭があふれそうになりながらも自分なりに切ったり貼ったり捨てたりしながらなんとか判るように整理してゆく.その一つのやり方として祈るということがある.20台前半の僕は,人工衛星の軌跡を見たり道路の下を流れる水の音を聞いたり鎮守の森を歩いたりすることで不具合に満ちた頭の中を言葉に変えていった.東京へ行ってからというものその当時の気持ちは完全には思い出せなくなってしまったが,そこに何か言葉を当てはめるとすればそれは祈りであるとか,より俗っぽい言い回しである拝むという言葉が適当であったように思える.一夏とジンとの関わりあい方は誰にも理解されることのない,いつか彼女自身だって忘れてしまうだろう一夏流の拝み方で,それは安っぽいアイテムを使うものだったり,支離滅裂だったりする.そしてうた∽かたとはそこから始まった彼女がなんとか自分に判る言葉を紡ぎあげてゆく過程の話であったように思える.

例えば第10話におけるお墓参りは一夏が混沌から言葉を導き出すための大きなヒントを与えているように見える.そこでは両親の口から一夏の誕生にまつわる不思議な話が語られる.自分の起源というのは一筋縄では答えられない難解な問いであるが,誠実そうなこの両親が語る夢は娘の一夏にとってひとまずの回答となる程度には信頼のおけるものだっただろう.そのためか彼女が繰り返し見る海の夢は第11話では舞夏の作り出すうたかたとしての自分という起源的なものへと変化し,形を得てゆく.

舞夏が何者かというのはよく判らないが,少なくとも一夏と舞夏の間には鏡のあちらとこちら側,波打ち際のあちらとこちら側というような境界線が強く意識されていることは見てとれる.それは第8話の夢で舞夏と一夏の首絞めが入れ替わる様子や,第10話において舞夏が彼岸の者たちと対面し一夏は彼岸の者たちと同じほうを見ているシーンを経ることによって,どうやら彼女らの懸案事項は生と死に関することであり,そこで境界線とはこの世に生を受けて立っているのが彼女らのうちどちらであるか判らないような眩暈をもたらすものとして作用している,というくらいはなんとか言えそうである.

太極図,ジン,七つの大罪などと沙耶の節操ないめちゃめちゃ感はつまり一夏のそれと同じであるのだが,心情としては恣意的なルールを振り回す沙耶の言うことよりも舞夏の言葉を信じたい.そうするとこれはやはり夏休みの宿題であって,夏休みの宿題というのは強制的にやってきて,いつもとはどこか違う大人くさいことを仕方なくやらされたり考えさせられたりする内に,出題者には想像もできないし知ってほしくもないような自分だけの鮮烈な思い出を残して去ってゆくものであって. ここで舞夏というのは生命のスイッチを入れる者としてイメージされる誰かかもしれないし,一夏の雛人形とも言うべき形代かもしれないが,よく判らない.判っているのは,由比ヶ浜の海と旧校舎の大きな鏡から始まって自分のルーツについて色々考えた少女の夏があったということで,それが一篇の詩としてノートに一生懸命綴られたということで.僕もそのノートの中の出来事をまるで見て来たことのように感じたという,ただそれだけのことである.


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