Just Communication

(文脈略)

内側に何かあることを前提としない言い方を選ぶならば,インタラクションという言葉が当てられると思われます.アクションが相互に起こっているという見た目だけを出発点にすることで,意味を問うことは難しいままだけど行為として作り出す分には簡単であるときの様子を取り扱いやすくなります.作り出すということに着目すると,人に話しかけてくる人工物ならば Weizenbaum の Eliza (1966)を祖として,チャットに登場する人工無能や今ならば BlogPet のようなかたちだけの会話をつくる方法,実世界においてもペットロボットにやらせていることなどを見ていても,素朴に行為を作り出すことの面白さは長らく人の興味を引き続けているようです.人間同士だってあまり深く考えないほうがよいような場合であるとか一種の遊びとして,意味のなさそうな声やしぐさを作ることはあって,そのような僕らの日常の有り様がこれまで人同士の(あるいは人と人工物との)やりとりを論ずる上ではこぼれがちであった,とかいうことはおそらく何度も指摘されているとは思われます.

それでもインタラクションという言葉が改めて興味を引くのは,ビデオゲームにせよロボットにせよ,昔に比べて豊富なアクションを生成できるようになったことと,必ずしも特定の誰かへ宛てられたものでないブログや Web 日記において,ただ相互にアクションが営まれるという僕らのよくある有り様の,なかでも言葉についてのそれを明示的に記録してゆくことが普通になってしまったこととかのためでしょうか.インタラクションと呼ぶほうが妥当に思われることは昔からずっとあるのだけど,それは今,とても目につきやすいものになっている気がします.

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