穂史賀雅也「暗闇にヤギを探して」

「例えばの話なんだけど」
「例えばの話ですか。ふんふん」

「例えばの話なんだけど」から切り出されるよく判らないたとえに満ちた相談ごと,といえば恥ずかしい話であるのが相場で,自分や身近な人のことをさも赤の他人の身に降りかかった出来事のように作り話する.恋の話とか,身体の話とか,それに類すること.「暗闇にヤギを探して」に目立ったやりとりは草加合人が「例えばの話なんだけど」として身近な人に訊いて回るところである.だけど何を訊いて回ってるのかについてはあまり判ってない.たぶん,恥ずかしいということだけ判っているからそんな訊き方をする.彼の幼なじみ,風子としては初手から女の影を感じて,それで手首に噛みついてきたのだろうけどね.

合人が千早千歳と過ごすうちに,恥ずかしいものを見たり,触れられたり,噛まれたり,色恋沙汰の予感が強まって,また「例えばの話なんだけど」と切り出すことになる.一方で,その例えとしての話が夜のヤギの話であるとか死んじゃいそうな王女様の話であるとか想像を誘うもので,だから塔の上の王女様はあるはずのない星空の階段を降りて逃げることが出来るのであるし,男の子は無限の丘を登り続けて,そしてふたり出会うこともある.たとえ話の上で色から聖なるものまで揺らしてくる.

ところで,世田谷風子は着ぐるみ娘である.合人には見てきたものを連想やたとえと交ぜ合わせる性質があって,猫について行ったら自宅へたどり着いたのを,猫が自分を迷子だと思って案内したという風に読み取るし,猫の着ぐるみだった風子に噛まれた痕のことを,姉に訊かれれば猫に噛まれたんだって答える.そんな彼のそばにいる風子は彼に甘えてか,彼でなければ突っ込みどころ満載の格好を普段着にしている.

その風子が合人を取り返しにゆくときには着ぐるみを脱いだ普通の娘として相手の女に対峙しなくてはならなかった,その決意が切ない.千早千歳から見れば合人が普通の世界の住人で自分は普通じゃない世界の住人であったわけだが,風子から見ればアールグレイを入れる合人の女(千早千歳)のほうが普通の娘であると予感されたのだろう.着ぐるみとしての特別な立ち位置では恋に見込みがないと判ったら,それまでのやり方を捨てて裸で対峙する必要があって,台無しにした代償とばかりに合人からエアガンを奪い,手持ちの唯一の武器であった白いワンピースを着て臨んだのである.

暗闇にヤギを探して (MF文庫J)

暗闇にヤギを探して (MF文庫J)

絵がかわいい.

他のかたのぐっとくる読み筋とか.

・明日香さん http://d.hatena.ne.jp/asukasyo/20061105#1162657703
 着ぐるむとか紙を食べてしまうとかいうままならなさ

・読丸さん http://d.hatena.ne.jp/yomimaru/20060923#book
 おさんどん少年と技術

・kanadaiさん http://d.hatena.ne.jp/kanadai/20060923#1159022639
 舞台装置や行動の一貫性の無さについて

・mirunaさん http://miruna.jugem.cc/?eid=1291
 辛言として成り立ち得るのはこういう話
 心臓やぶけそう

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