D.C.II P.S. 茜の話

西園さんに倣うなら花咲さんの話とするところだが,今回はあえて茜の話としておく.

ダブルな話だけれど,僕にとってふたりを区別する手がかりがないというのが素敵だ.メッセージウィンドウ上は常に「茜」.

僕にとってふたりを区別できるってのは風雨来記みたいにふたつ身体があるようにしか見えないこともあるし,SHUFFLE!みたいに性格違いますよてのもあるし,ときメモ2みたいに微妙に胸のふくらみのドット数が違いますよてなのもあるわけだけど,手がかりなし.この違いは義之にしか感知できない.区別できることに理屈は示されなくて,なんとなくだけど確実に,義之にだけは区別できている.素晴らしいじゃないの? 

内側の仕組みはどうあれ外から観察する分にはずっと一人として見えていたわけだから,そこにふたつの心を見つけることは出来なくて当たり前なんだけど,ふたつを認めることのできる義之の特別さが話を支えるわけだよね.女の子の困難な事情に男の子が寄り添うことのドラマチックは,いっそ僕にすら判らない理路で行われよ.

メッセージウィンドウ上で茜の名前を変えないというのは,当たり前を離れて魔法を前提にして進んでゆく事態の臭みを消すスパイスでもある.

桜が枯れてあほに戻った雪村,というのは僕が愛情を持ってあほと呼んでるのだけど,このあほの雪村がたくさん出てきてくれるのも嬉しい.普通に説明しようのない出来事に対してなにか言葉を与えることが出来るのは,茜という親友の名前すらよく覚えていることが出来ず,そのかわり直感だけで喋っているこの人物をおいて他はないの.茜という名前を取り払えば,雪月花はたしかに4人いても構わない.

雪村の話と合わせてあと3年は戦えそうな元気が出た.よかった.

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