魂のワンクリック

Φなる・あぷろーちについて,先日は嘘でもプレイを続けるつもりであるように書いたが,やはり選択肢をひとたび誠実に選びきってしまったゲームでは他の選択肢を選ぶ意欲がなくなる.別に全ての話を読まねばならぬ義務はないのでしばらく置いておこうと思う.

僕らはテレビでも新聞でもWebでもザッピングすることに慣れているので,美少女ゲームでもテキスト送りやスキップ,オートモード(視聴)やバックログ(熟読)を切り替えつつ,上手いことテキスト・画像・音声などの断片を拾い上げてゆくわけだけど,そうすると他の話が目に入らないくらい一つの話を好きになるっていうのがなかなか起こらないのかも知れない.Φなるでは久々にオートで最後まで流して,スキップなし,読み返しもたまに聞き落としたときだけにしてプレイした.その結果,僕が選びとったある一筋の話の流れに集中できる,という点では,選択肢以外でぺしぺしボタンを押さないようにしてみたことは良かったように思える.

僕は指先の感情移入という話は僕らとゲームとの先鋭化したやりとりを上手く説明していると思う.テキスト送りのクリックをキャラクターに対するアクションと重ねることによって,僕らはキャラクターと接触しているように思われる.一方で,ストーリーの分岐選択肢を選ぶためのクリック(あるいはボタン押下)はここでは議論の外にある.例えば,多くの時間はオートモードでじっとキャラクターたちの話に耳を傾け,時々,岐路に立たされてクリックをする場合,気持ちが緊張するとともに怠けていた右手の筋肉も緊張する.そんなピークの高い刺激をいくらか間隔をあけて繰り返すことによって僕らが深刻に話の流れへ巻き込まれてゆくようなやりとりのデザインにもまたゲームらしい特徴が見られるのではないかと思う.もしそうだとすると,ザッピングにおいてテキスト送りとオートモードを使い分けるような場合,僕らは小刻みに連続するクリックアクションでキャラクターと触れ合うことと,ピークの高い魂のワンクリックでキャラクターと共にゆく道を選ぶことを両極端において,その間をいいように調節しながら進む作業をもってキャラクターとの関係を構築していると言えるだろう.

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