しっぽのきもち

集まった人たちの性格がうまく分業されていて,そのかみ具合から対立したり協調したりといった活発なおはなしの運動が生まれてくる,とかいうのはまるで機械的ですから,そうなるのは避けて通りたいという気持ちは一般に働きがちなんじゃないかしら.月宮あゆの「うぐぅ」とか御陵透子の「綺麗な x を書く」みたいに,他の人のそれとは結びつきにくい,分業された部分ではありにくいことがキャラクターにくっつけられていたのは,そういう気持ちのやけっぱちな表れだったのかもしれないと今さらながらに思いました.そもそも当時の彼女たちは一緒になにかをするということが多くなくて,特に後半では1人しか出てこないという形をとるものだったので,分業しないことの徹底として,それは安心することのできるアクセサリだったような気がします.

組み立てのいい語り口を保ちながら,どんな風にしっぽを出しておけば窮屈にならないのかということは,試行錯誤されるところではないかと思います.僕としては必要以上にしっぽの出ているおはなしであるほどDVDパッケージとして手元に置いておくことが多いです.傍にいてほしいと思うのは,そういうものたちであってね.

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