Sister Soul

まず「わたしはちょこ!! お兄ちゃんの妹なの」という同語反復的な言い回しから「さて,兄チャマは四葉の兄チャマなわけデスが」という言い回しが思いだされるというのは四葉を愛する人にとってはあたりまえの常識の反対の反対という前提で話をします.いちおう解説しておくと,発話のなかで兄という語が最初に出てきた時点で語り手(ちょこ,四葉)と兄たる人物との関係は自ずと明らかであるのに,引き続きもう一度,語り手と兄との関係(「妹なの」,「四葉の兄チャマ」)が語られているという点でこの二つの言い回しは似ています.

このような言い回しはやはりおやッ?と注目されるところであって,ちょこSis漫画版1巻p.111では駆君がツッコミを入れたり4巻p.95では幼稚園のみなさんを戸惑わせたりしていますが,そういうものであるだけにいっそう,ちょこの独創的な言い回しとして何度も使われてます.聞いた感じとしては反復されることによって兄妹の自明さが強調される,兄妹という関係はそもそも男の子をもつ母親から女の子が生まれてきたとき自明に与えられてしまうものであって,はじめから決まっているということを極端に取り出してみたのがはるまとちょこの関係であって,その極端さこそがちょこのこの言い回しに現われているように思われます.念のため確認しておくと小さい頃のはるまが妹をくださいと祈ったのはサンタさんではなく神様で,たまたまその祈った日がクリスマスだったのでした.母の出産に際してコウノトリが妹を運んで来てくれると思っていた彼の素朴な信心が,自明さの極端に取り出された兄妹のあり方へとジャンプするとき,つまりクリスマスプレゼントとして妹が届けられたときの惑わされるような感じは,神様への祈りと人工的なおもちゃ祭りにおけるサンタさんへのお願いとがわざとまぜこぜにされているためです.そして,戸惑うべき場所が多いほど奇妙さは棚に上げておきやすい.

四葉の場合「さて,兄チャマは四葉の兄チャマなわけデスが…四葉のことは,どう思ってマスか?」という自明さを疑う問いかけが続きます.加えて四葉はちょこのように自分が妹であると定めるのではなく兄がどうであるかを定める点でも,自信よりも相手を伺う気持ちのほうが大きいように聞こえます.それをひっくり返すとそのまま,ちょこがはるまの妹として愛されることを疑う様子はないように見えます.ここで兄妹が愛しあうものだというのはまぁ,僕の文章を読む際の大前提なのでさておいてください.

そういうわけで,アニメのほうの第12話でちょこがはるまに嫌われちゃったと思うのは漫画版にはない話で,内容的にもアニメ独自の読みが行われていると思いました.はるまの失恋に関して漫画ではねこにゃんダンスの話とのクロスオーバーで紛れさせてしまうのと比較して,アニメのほうからは第12話に感情のやりとりの頂点を作って区切りをつけたかったという意図を感じます.コミックスで一気に読む分にははるまが失恋へと向かう流れのなかにねこにゃんダンスが浸食してゆく様子,例えばはるまが綾乃さんから電話で結婚の報せを受ける横ではちょこがダンスを踊っている,というのが面白いと思ったのですが,1週ごとのアニメシリーズではうまくないという判断だったのかもしれません.漫画も連載で読んでいたらどう感じていたかよく判りません.

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