http://gs.dengekinet.com/suteki/blog/2007/12/31/post-4.html
ごはんをからっぽにすることは子供の使命である.これが給食になると集団による圧制めいたところが出てくるのではあるが,家庭で食事をする分にはやはり食べなくてはならないと思う.
中学高校になると,こんどは男の子だけが食べないと怒られるようになってくる.たまに帰省していっしょに食べると,祖母や叔父たちがそんなけでええんかと言ってくる.
おとなになっても,いつも母は僕が食べていないことを心配する.
子供がごはんを食べるというのは成長よりもっと根深いもので,宇宙の中心ではなにかごはんをからっぽにしなくてはならなくなるような力が働いているのではないだろうか.
身体には給油メーターがついていないため,食べたことはからっぽになることでしか判らないというのが面白い.からっぽになることがごはんをいっぱいに食べることなのである.食べられない給食をこっそり隠して持って帰るのはその仕組みの応用だ.
からっぽまでたべたら、お兄ちゃんに見てもらうの。
きっと、
「よくがんばって食べたね」
ってほめてくれる――うれしい
そういうわけでこれは可愛らしくも邪心のない「からっぽ」である.
想像の図に込められた,うれしい,の気持ちもよい.