なまえなまえなーまえー

http://homepage2.nifty.com/~undine/08/dwl01.html#23b

相手のことをいつでもどう呼ぶか選べるのはときメモの2以降だわね.Girl’s sideのほうもそういうところがあるみたい.選択肢なので自由に入力できるわけじゃないんだけどね.

しかしなんつか,一通り思いつきそうなことはやってるよなぁ,ときメモ2.

キミキスは残念ながら水姫が求めてる意味でのいつでもどこでもキスって感じじゃなかった.キスという行動の結果で状態が変わるのではなくて,好感度を上げる行動の結果,キスというイベントを起こすことができるのだわ.ご褒美だから.

キスにつながるアタックは任意のタイミングだけど,成功率が好感度とかのゲージと対応していて,もしも成功させたいのならばいつやるべきかはかなり明確..

このゲームではキスが特別なことなので,むしろその他のことが会話中の好きなタイミングで(デッキなので運もあるけど)できます.みつめる,微笑む,手を握る,とか.このへんはやってハズすとたいへん痛ましい気持ちになれます.

ところで僕は物持ち悪いので,そちらのフィギュアのみなさんまだ健在だったんだ,というのに感動.懐かしいぜ.

記憶

Googleのおかげで僕は昔だったら覚えておかなくてはならなかったことを覚えなくてよくなった.これは幾分,僕の睡眠に貢献しているはずである.おかげでネットのない環境では何を訊かれてもぼんやりな馬鹿にはなったが,まぁそこは馬鹿になりたかったのである.

あるいは覚えておくかわりにネットに書き残すわけであるが,そういうわけで,全てを記憶してしまう杏がなぜ日記を書かねばならなかったのか,というくだりは興味深かった.自動的に記憶されることへの抵抗と,仮に,人が嫌な記憶を忘却できるものだとして,楽しい思い出こそがなるべく記憶に残るものだとして,その選別が自動的に出来ないことへの抵抗.

杏をシステムメッセージにしてアルバムを開くと,ちょっと切ない感じになります.

弟くん

話し言葉も前作同様,気持ちよく乱れている.義之にときどき関西弁がはいるのが特に可笑しい.
「おもろいやろ」

あと杏がリーダー格のしっかりした娘さんであるところとか,始めてみるまで判らないのもいい.どこが「ちびっこ毒舌クラスメイト」やねん.広告が表層ばかり打つおかげであるが,実際に話してみて印象が変わるというのは,それはそれで嬉しい.

音姉が隠してること,というかおそらく彼女が願ったことについてはおよそ察しがついてしまった.永久アリスのきらはの願いと同じであろう.この人が弟くんと呼ぶものだから,この人の友達も義之のことを弟くんと呼ぶのが可笑しい.僕も姉の友達から姉と同じように呼ばれるから困るのだ.

弟くん,という呼称は年下からの,お姉ちゃん,に対応する呼称としてまるで素晴らしい.僕が姉のことを下の名前で呼ばないのと同じ気持ちで,姉のほうも弟のことを呼べるわけである.もしも僕がお姉ちゃんになったら僕は弟くんのことをそう呼ぶに違いない.水姫によると主人公の名前変更可能なゲームで弟を呼ぶためのナイスアイデアということで,それもなるほどとは思った.D.C.IIについて言えば,ゲームを始めてみると名前は義之くん固定だったので,音姉が弟くんと呼ぶのはまったく彼女の気持ちによるようである.

D.C.

子供たちが前作のさくらと純一のことを,さくらさん,純一さんと呼んでいる折り目の正しさが着地点でありまたスタート.

かの殺風景な,生活感のなかったさくらの家に男の子が住んでいたり子供たちがしょっちゅう上がり込んでるという時点で,前作のバトンは安心できる形で受け継がれている.また,子供たちのほうは彼らが欠けることで大きく揺らされて,何か始まってゆくのだろう.

さくら「ただいま〜.なんか楽しそうだね〜」
がやがややってると,玄関の方からさくらさんの声が聞こえてきた.
音姫「あ,さくらさんお帰りなさい」
さくら「ふぃ〜,お腹すいた〜」
席について一息つく.
音姫「さくらさんの分,用意しますね」
すると,すぐに音姉が席を立った.
さくら「うぅ〜,いつもすまないね……げほげほ」
音姫「それは言わない約束だよ,おとっつぁん」

このやりとりの何がよいのかはちょっと前作知らないと判らないかもしれない.あの部屋になんとこたつがあって,その周りでの会話が行われるのである.またさくらの好きな時代劇も絡めてある.

義之「静かですね」
さくら「うん.そうだね」
さくらさんとふたりっきりでの夕食.
今日は音姉も由夢も来なかった.
月に何回かはふたりが来ない夜がある.
そもそもふたりは朝倉家の住人で,ここは芳乃家なんだからそれが普通なんだけど.
でも,なんだか妙に静かに感じてしまうのも事実だった.

それはそうなんだけど,朝倉家に対して芳乃家というのが在るってことが,それだけで嬉しいのね.
それでまたこの義之くんを芳乃家に住まわせたのは純一おじいちゃんでね.

芳乃家は相変わらずハッピーな日常だった.

義之くんはこの芳乃家を今度は雪村杏のところへ持ってゆくのである.
彼女も実は,おばあちゃんから引き継いだ,だだっぴろい,生活感のない家に住んでいたのだということに,驚かされるのであって.

一度見たことを忘れることのできない雪村流暗記術の弱点も,さくらの魔法に対するまんぼうと同じ.

義之「あ……」
杏「どうしたの?」
義之「いや,杏に演技指導してもらうつもりだったのに,学校に着いちゃったよ……」
杏「そういえばそうね.すっかり忘れてた……」
義之「あはははは……」
杏の言葉を聞いて俺は笑った.
杏「どうしたの?」
義之「いや,杏だって忘れることあるじゃないかって思ってさ……」
杏「あ……」
杏は,ようやく気付いたらしく,口元を手で押さえた.

例によって枯れない桜の樹が悪さをしているようであるから,そこにはまんぼうのような弱点がなくてはね,やるせない.

極端な魔法,例えば,自分の夢が全て叶ってしまうのだとしたら,自分の好きなあの人が自分のことを好きでいてくれるのは.

さくら「それは誰の気持ち?」
純一「まんぼう」
さくら「うにゃ!?」
純一「お前は俺が変なこと言うことまで自分の夢だなんていうのか?」

僕が好きなこのまんぼうのくだり,決め手ではあるけど地味なところなのによく拾ってきてくれたなぁと思う.

暗記術

すなこ流暗記術がいつ誕生したのかは定かでないが,中学にあがってから次第に教科書やノートに占めるチェックペンの面積が増えていったのだと思う.しまいにはページに助詞しか残っていなかったり段落がまるまるチェックペンだったりしたものだから,チェックペンの意味ないやんとは言われたものだ.しかし,おそらくページ上の位置やときどき覗いて見える助詞が記憶の手がかりとなっていたのだろう.

そのうち,前日の寝る前に覚えたチェックペン下の文字は翌日けして忘れないでいられるという,なにか自動めいた現象に気づいたので,僕のテスト勉強は覚えることよりむしろ,前日までにいかに覚えるべき資料を集めて完璧にチェックペンを引いておくかということに集約された.一夜漬けのようなものなので記憶は三日と持たないが,その一夜漬けを毎日繰り返していれば記憶は永遠である,という理論に基づいて,僕は高校の最終学年を過ごした.しかし覚えるべきページは日に日に増えていって,とくに布団に入って目を閉じてからもう一度すべてのページを思い出してみることが重要だったから,自動,といっても神経に負担はかかっていたのだろう.大学に入ってから1年経って,このやり方が僕の頭と体をおかしくしてるんじゃないかと思って暗記術を捨ててみたら,学ぶ方法というのがまったく判らなくなっていた.そして,記憶力もなく,学びかたも判らないまま今に至る.

学んだというつもりがないのに単に長く続けたというだけで上達した自分の絵やものづくりの技術について僕が信用してるのは,判らないにも関わらず,確かであるからだ.他は全部嘘ばかりだ.

雪村杏ではないが,ぼんやりな人になっちゃったけど今後ともよろしく,というこの十余年である.

今もまだ布団に入ったあと緊張してしまうのはかつての名残であると思うので,義之くんと一緒なら眠れるようになった杏がちと羨ましい.エンディングのぼんやりとしたスチルと周りの面々の相変わらずな対応にも幸がある.

D.C.II

雪村杏編.10年に1度の達筆.今時のなんで長いんだけど,ぜんぶで何時間読んだんだっけ? 飛ばさずに見ていったし,まだ名残惜しいわ.話が大きく動くわけではないので,ずっと静かに文脈をつなげてゆくところがウルテクなのはもちろんとして,中学3年の子供たちの当たり前のようにしっかりとした様子とか,前作を読み込み尽くしたかのようなオマージュのあり方とか,誠実.

ひとりで作るような作品ではないし,朝倉家まわりとディレクションを担当した雨野氏もきっと同じような形で支えていると思うのだけど,中盤のスキー旅行と杏編をメインで書いた,たけうちこうたさんが第一には素敵だったのではないかと.
(今まで存じ上げなかったけど,ヴェテランですね.http://www.geocities.jp/kots_tea/games.htm

絵は杏だけエタファンのみつまむ氏.エタファンも絵買いしかけてRPG要素がいまいちっぽかったのでやめたのだけど,絵はやはり好き.

女の子たちが半身で背中向けて,顔だけこっち見てる様子が立ち絵の半分くらいを占めてるのがたぶん珍しい.相互の立ち位置や振る舞いを示すという機能はもはやどうでもよくて,単に可愛いんだなこれが.振り向いた顔で関心が示されつつ,正面に立たれるほどにはこちらが緊張を強いられない.

あとスキーウェア姿が眩しいよみんな.

はじめっからお目当ての娘さんがいてゲームを買うというのも滅多にないことだけど,実際それがそのまま僕のために書かれたような代物だった日には,まぁ,盛り上がっちゃいますよね.

りかさん

http://gs.dengeki.com/suteki/blog/2008/01/18/post-17.html

前も言ったけど,紹介ページのほうはつづめてリカ.
http://gs.dengeki.com/suteki/character/index.html

しかし,G’s本誌のほうでは同じ文面で名前んとこだけリッカに変わっていた.

脱字くさいのだけど,いかにも言ってそうじゃない,リカって.

あと,この人のしゃべりは伸ばすとこおかしいのであるが,なんかくせになるね.

またこーんーどー.

アオイシロ

漫画のほうとWebノベル読みました.例によっていろいろ交ざってるけど,どこかで為朝様が出てくるよね,この展開.

コハクの佩刀は2尺7寸なので頼光の蜘蛛切.
漫画のほうではお寺に伝わる木刀が「蜘蛛討ち」.

妙心寺東林院で見てきた沙羅双樹はお釈迦様のそれとは違うのだなぁ.日本じゃ涼しくて育たない.
本邦では平家物語のそれも含め,夏椿を沙羅双樹と呼んでいるのだそうな.

ショック…

http://gs.dengeki.com/suteki/blog/2008/01/16/post-15.html

うわ,ぜんぶ実物で見たんだ.

通学の場合,独りで乗り物というのは本人にとってたいしたことでないのだけど,周りのひとにとっては,あの子がよう通ったなぁ,という感想を抱かせる.かつては往復四時間通学の僕がその対象であったが,いまは僕が従弟を見て,あの子がよう通ったもんだなぁと思ってる.たぶん,本人にとってはなんてこたぁない.

中学からは自転車通いの予定だけど,自転車では危ない踏切があるんで駅から歩きのほうがええんとちゃうか,というような話をこのまえ叔母とした.なるほど,通学路というのは心配になるものである.JR奈良駅まわりの高架化でこのあたりにも道路の余裕ができないものかと思ったが,対象領域外だった.

JR奈良駅連続立体・街路事業の公式ページ
http://www.pref.nara.jp/toshi/jrnara/index.html

今はビデオ説明がついてくるんだなぁ.まぁ,大事業であるからそれくらい気をつかうか.

http://www.pref.nara.jp/toshi/jrnara/jigyugaiyou.html

施工順序のページがあるが,これは跨線橋工事の手順を省いているため実際はもっと面倒くさい.
http://www.pref.nara.jp/toshi/jrnara/sekouzyunzyo/sekouzyunzyo01.html

大宮跨線橋については関西線の高架を作る前に,まず高架が通れる高さまで跨線橋を2車線ずつかさ上げする.高架が完成したら,跨線橋を撤去して高架の下を通す,という手の掛かることをしている.大森町のほうはまず跨線橋を撤去して踏切化したようなので,大宮では大動脈(阪奈道路)を踏切化するのを嫌ったということだろうか.

奈良の西と東を分ける跨線橋は風景で,この橋を超えると奈良で,奈良から帰るときはまた同じ橋を渡って帰るんだ,と思ったものである.JR京都駅にせよ線路は街を分けるもので,南北自由通路なんてのが出来たときには便利やんと思ったものであるが,翻って奈良の見慣れた風景の話になると感傷を伴うものである.