D.C.II #9 恋模様大和路

前回,なんで大和路やねん,と思って予告見てたけど,修学旅行先が奈良だった!
しかも京都泊じゃなくて奈良泊.もちろん京都には寄らない.すばらしい.

看板が南都銀行になってます.あと修学旅行生が泊まるような旅館は五重塔の裏手にあるのでちゃんと合ってる.
恋愛ネタとしては京都地主神社ではなく無論,春日大社末社のハート型の絵馬の話になる.

たぶんこんな旅程.

1日目
初音島→大阪南港フェリーターミナル→<ニュートラム&地下鉄>→難波→<近鉄特急>→近鉄奈良
《自由行動》
 東大寺南大門→大仏殿→春日野園地→二月堂→旅館泊

2日目
《引き続き自由行動》
旅館→近鉄奈良→(唐招提寺→薬師寺)→法隆寺→近鉄奈良→東向商店街→旅館泊

(カッコ)内はたぶん行ってるんじゃないかと思われる場所.2日目は自由行動で,移動には近鉄と路線バスを使ったとしか思えない.貸切バスがあるなら初日の大阪南港から利用するのが筋である.

まったくすばらしい.夢にみたよね,こういうの.

記憶の小瓶

高楼方子の銀の匙.

記憶の小瓶

記憶の小瓶

人の幼少期の話は,
自分の幼少期の記憶を呼び覚まします.
この極私的な回顧話に意味があるとすれば,
その一点に尽きるでしょう.

小学生くらいまでの間,祖母の家のおくどさんを抜けると鬱蒼とした緑の庭があったのだった.入り口のほうの手入れはゆき届いているが,奥へゆくほど人が足を踏み入れている様子でなくなってくるため,そちらへはあまりゆかなかった.しかし,そのもっとも突き当たりの場所にはシーソーのような遊具がいくつか置いてあったのを覚えている.もう朽ち果てて遊べるような代物ではなく,だからやはり何度も見に行くようなことはしなかった.

そういえば誰が使っていたものかよく判らない.さすがに祖母のわけはないので叔父たちだろうか.母のものだったかもしれない.それにしたって30年も昔のものということになる.

誰がつくったのだろうか.当時どこかで買ってくるというものではなかっただろう.おそらくは,大工だった祖父が,いや昔はそう聞いていたが最近になって鐵工所へ勤めていたというようにも聞いた,ともかくそうしたものを作るのは得意だったろうから,子供たちのために作ったんじゃないかと思った.これは今度うちへ帰ったら母に尋ねよう.

その家は全体の半分くらいが裏庭だったように思う.お風呂が伊勢湾台風で飛んでいったため,その分もきっと庭が広かった.孝行息子の叔父さんたちが暖かくて広い家に建て替えたとき,裏庭のあった場所に母屋が移動して,その代わりに前庭が出来た.前庭にはガレージとほんの少しの植物たちが置かれているが,数は少ないにも関わらず一つ一つがおそろしく栄えている.

裏庭からあふれた植物のいくらかはうちのベランダにもやってきた.しばらくあったように思うが,忙しくて世話が出来なかったためかいつのまにか数が減っていた.

最近また,うちのベランダに緑が戻りつつある.

100まんびきのねこ

「うちに,ねこが 一ぴき いたらねえ」

おばあさんのねがいをかなえるため,おじいさんは猫をとりにゆきました.野をこえ谷をこえ,とうとうたどりついた丘には,ひゃんくまんびきもの猫が!

絵本なのでやはりひゃくまんびきの猫がいる丘の絵が先にあったのではないかな.ひゃくまんびきのゆがみで絵と文の境界も不思議にぐにゃっとしています.

冒頭のねがいの言葉がよくって買った本.

100まんびきのねこ (世界傑作絵本シリーズ)

100まんびきのねこ (世界傑作絵本シリーズ)

Yonda

おそらくは最後になるであろう講義の準備を終えた.

本を読んだ.本を読むというのはそこそこ自信を得られるものと知った.ここ10年,自信のなさに震えながらも本を読むことだけは厭い続けた結果,遅きに失した感はあるが,その間に僕がやってきたことの追認をいま,10年や20年前の基礎的な文献に見つけるのは嬉しいことでもあった.喜んで線を引いたり付箋をつけたりしている.

独りだったのだ.

しずるさんと偏屈な死者たち

このラノ読んでいちばん面白そうだったのだけ一冊.

しずるさんが警察の動く力に期待するさまは彼女がよーちゃん越しに見る外界のあり方で,しずるさんがよーちゃんを通じて見ているものはきっと人情や地に足のついた様子をゆき過ぎてファンタスティックな実際.よーちゃんの住んでいる場所をしずるさんなりに語ってみるとそれははりねずみチクタのぼうけんになっていて,よーちゃんの告げた行動にすらすらと応じておはなしを紡いでゆけるのは,よーちゃんのいない時間にそうしたことをずっと考えているから.

語るべきことがあって,何度も考えたような大切なことで,絵に描いたようにそれが見えているということがひとつ.あとその絵を訪れたいと思ってくれる人がいるってことがひとつ.ちいとも詰まることなくスムーズにおはなしが作られてゆくのはそんなときで,しずるさんはそうしたときのゲームマスターの気持ちに似ていました.

しずるさんと偏屈な死者たち (富士見ミステリー文庫)

しずるさんと偏屈な死者たち (富士見ミステリー文庫)

裏表紙のはりねずみがよいです.ってあれ,上の書影,僕がもってる表紙と絵が違うんだけど,なんでだ?