パンツはいつもそこにある

パンツについてはもっと深く考えねばならぬ.僕がカレイドスターとかナージャとかプリキュアとかどれみとか見るのがしんどいことともきっと関係があるだろう.と,ナイショの1話を見せてもらって思いました.

僕はパンツが目に入らないというのはバイアスであるように思われる.うた∽かた第1話の登校シーンからして,あれをパンツ見せる以外の文脈で読むと途端にカットの繋がりは悪くなる,という申し開きは念のためしておきたい.パンツはそこにある.僕にはそれが背景であるように感じられる.そして僕とパンツとのそんな関係を僕はどこか遠くから見ている.

ちなみにD.C.は本編パンツNG,Cパートのみパンツあり,のはず.

パンツの効用

D.C.のオープニングのパンツとかうた∽かたのパンツとかは基本的にアニプリの変な像と一緒であると思う.僕が怒った最後のパンツはモルダイバーのパンツであって,不自然なカット割りでパンツを見せられることに全く納得できなかったのであるが,今ではそういうズレが残されてるアニメのほうが見やすい.少し距離を置いて見ているほうがいろいろ連想したり自分のことを思い出したり出来ている.

パンツのいいところはズレを残して謎は残さないところである.あの変な像はパンツよりも意味深であるところがいけない.そのひっかかりを解こうとするとどうもアニメの中に入って行ったりアニメの外に出て行ったりして証拠物件を集める必要が出てくる.そのどちらも行き過ぎで,僕には少し離れて見てるくらいがちょうどいい.僕とテレビとの距離はいつも1メートル半ほどであって,気持ちの距離もだいたいそれくらい離れている.

仮にパンツが何らかのズレであるとすればそう思うのであるが,最近はそもそもパンツが目に入らない.僕の目はそんなに大きくない,とかではなく,ともかく画面で何かちらちらしていても夕飯のおかずが微妙に一品増えてる程度にしか感じられないのである.散りばめられているらしい謎についても同様であって,こういうのが三十路前の心境というものであろうか? ギャグの切れも酷い.

年末の予定

今年は薫さんとことあんよさんとこが目当てでコミケに行くつもりでしたが,ちょっと私の予定に番狂わせがあったので取りやめることにしました.通販,楽しみにしております.

その代わり23日には鎌倉観光してきます.一夏の様子見がてら.

うた∽かた #8

悪意とそれをあらわにした結果というのは往々にしてずれている.あの花吹雪の結果が入院していた女性にとって幸だったのか不幸だったのか良くわからないという様子である.そんな風に,仮に一夏にも誰かの悪意が向けられているとして,彼女らが付け入るべき隙はそこにあると思う.

此何遽不為福乎.

付け入るというのは難しいが,長い目で見るということは遠回りではあるがそういうことになるんじゃないかと思う.見守る側の僕としてはそういう気持ち.

塞翁が馬という故事がある.いつからいつごろまで幸福だったとか不幸だったとかいうような,禍福を断ずる際にとる時間の幅は恣意的なものであり,気の長い人ほどその幅に融通をきかすためのゆとりを持っているという話だったと僕は記憶している.

うた∽かた #7

酷いことしやがります.自分の身体がある日急に変わってしまうというのは子供じゃなくたって怖いことだ.

繪委がさっそくいい感じにフォローしてくれたのであるが,どうも肝心のところには届かない.隣のお姉さんのことはやはり誓唯がなんとかしなければならないようである.誓唯と一夏は似ていると繪委が言っていたが,おそらく誓唯と一夏にしか到達できない場所があって,自分と彼らとの距離について繪委はよく知ってて,それでいてなお彼は誓唯のことが好きでいるんだ,とかいろいろ勝手に想像した.特に根拠はなく僕の願望として.

話としては今のところ順調にひと夏の交霊体験という道を辿っている.などと冷静に言えるのは,この夏がそのまま過ぎ去ってしまうものであることが既に第一話で判ってしまっているからであって,中身をやりたい放題できるのは頭をあらかじめ押さえてあるからだろう.

話にちなんでこっくりさんについて何か書こうと思ったがまとまらなくて止めた.なのに,さっきうた∽かたのネットラジオがあるのを知って聞いてみたら,冒頭でいきなりこの子らこっくりさんやってます.うわ.やっぱあくまで中学二年生の目の高さで見たオカルト話なんだな.

うた∽かた #6

目まぐるしく変化する天候に気持ちが左右されるだなんて勘弁して欲しいところであるが,晴れたら晴れ晴れとして曇れば薄暗い気持ちになるものである.雨が降る中,うじうじとしていた一夏の気持ちがいっとき晴れるのは,その視力で雲の上の青天を見ることが出来たためであり,どこまでもまあ天候とかそういう広くて大きなものに左右されちゃう人なのであった.

一夏の気持ちがぐちゃぐちゃになるのは憧れのお兄さんと隣家の綺麗なお姉さんとが会っているのを見たためだけでなく,ネックレスを壊してしまったことや裸でベッドに潜り込まなくてはならなくなったアクシデントのせいでもあるだろう.どれが原因かなんてこういうとき区別はつかないから困る.しかもたいてい人間のせいにしてしまう.一夏はちょうど今そういう性質になりかけてるんじゃないかと思うのだが,これまで風や空のことばかりだった人がそんなのに変わっちゃう日々は,しんどいものである.子供では手の届かないところもあるのでお兄ちゃんズには頑張って欲しいのであるが,どうか.

次回から勾玉が白と黒のうち黒のほうへ進む.えらく直接的な絵ではあるが,中学二年の女の子のひだひだとした気持ちの話なので,骨組みはそれくらい下品であるほうが読みやすいのかな.基本的にこういう下品な絵は嫌いなのであるが,それを保留して見ているうちに是と思えるようになることがある.

うた∽かた #5

一夏はここへ来てようやく交霊によって視力を得ることの意味について考え始めるのであり,つまり,ここで言う視力というのは同時通訳のようにおよそ一足遅れでやって来る認知の力なのである.そもそもこの話全体が,彼女の見た話を回想する形で上映されてるのであるからして,どうにもそういう遅れてきた感覚を催させる.

これまでの話を振り返ってみると何度もお礼をもらってるわけで,彼女が自分で言うように見てるだけで何も出来なかったなんてことはないのである.しかしそれでも彼女がそんな風に考えてしまうとすれば,見たものが届くまでにはしばらく時間を要してしまい,届いたときには身体はもうどうしたって見た場所には届かない,だから見たものに対して身体で反応を返すことができない,そのままならなさが彼女をそうさせるのだろう.そんなん当たり前のことなんだけど,自分に足りなさを抱いてる多感な時期にはその理由が未熟さであるように思えて,うまく見過ごすことが出来ない.

そんなときに第三者じゃどうしようもない恋愛沙汰に触れてしまえばなおさら,これまでのことも全部そうだったみたいに見えてしまうのかもしれない.

どちらかと言えば今回の話も一夏が頼りになる話である.着付けとかね.

うた∽かた #3, #4

中学二年になるまでに見てきたものっていうのはお互いたかが知れていて,自分と他人との間に違いがあることは判っても違いを引き比べることは出来ない.本人が意識しているほど周りの人はその人にレッテルを貼ってないし,変な言い方ではあるが本人が意識しているほど本人もそれを意識できていない.語彙の不足はいかんともしがたいのである.一夏は自分の足りなさについていろいろ悩むわけであるが,足りないのだから彼女が悩もうとしているものは彼女にとって判りようもない.そうするとどんどん真っ暗な気持ちになりそうであるが,お礼の言葉だけはちゃんと交わされるという救いようのある話だった.それで一夏の悩みの種が増えたとしてもそれはまあもともとどうしようもないことなので,お礼の言葉はもらえないよりもらえたほうがずっといい.

恥ずかしい代物は恥ずかしい人を呼び寄せるものなのでそれに甘えて言ってしまうと,僕は一夏のこと他人とは思えないので,ちょっと肩入れの度合いが大きいかも知れません.なんてね,クラスに1人は必ずこういう子が居るんだよと思うこの自意識のことも,おそらく僕はなにも判っちゃあいないんです.

アキハバラ電脳組 2011年の夏休み

こちらも中学二年の夏休みの話であるが,基本的に陽性.人のいない夏の白い街というと「雨の日と世界の終わり」であるが,ここでもやはりおでこに人工呼吸できる程度にはしっかりとした中学二年生さんたちだ.行きたいところへ行くという,そうあればいいなと思う類の夏休みの姿で,周りにどういう人がいて自分がどこへ行きたいのだかあまり判ってない「うた∽かた」のほうが僕の夏休み臭いのであるが,夢見たっていいじゃない.楽しかったし,彼女らのことが懐かしかった.テレビ放映っていつだったっけな.あのころ一番アニメ見てました.

劇場版 (機動戦艦ナデシコ / 少女革命ウテナ / アキハバラ電脳組) [DVD]

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D.C.,Φなる,アキハバラ,と長谷川勝己づいてる昨今.