修業時代

例えば家族において,ただ彼らが長年一緒に過ごしているという理屈によって,相互の距離のとりかたであるとかものの考え方であるとか抱えている問題といったものが,祖母から母へ,母から息子へ伝達してしまうことがあるように,師弟関係や学び舎の兄弟の間にもそういうところがある.プロジェクトの学生をみていると研究内容とは関係しないところで昔の自分と同じ轍を踏んで苦労していることが見て取れるのであるが,それを客観的に評価し,あらかじめ対策を打ってあげることはつい昨年までその中にあった人間としてはむしろ難しく,歯がゆい.せいぜい一緒に考えてやることしかできない.

また,よく言われる話であるが初学者に対して説明することはこちらにとってもよい勉強となる.いつもは枝葉の繁り具合ばかり見ているように思うが,素朴な質問へ答えているうちに幹の輪郭もはっきり見えるようになってくる.自分では判ってるつもりでもそれがうまく説明できないとがっくりきて,勉強する動機となる.子をもたない者としては,7つも8つも歳が離れた人と語る機会があるのは随分と恵まれた学びの場を与えられていると思う.

ヴィルヘルム・マイスターの修業時代について僕が気に入っているのは意外かもしれないがミニヨンのことではなく,第8巻第1章でヴィルヘルムとフェーリクスとの間にそのような関係が見られるようになる点である.それは,陰謀めいた一連の話において,例えばフェーリクスがヴィルヘルムの実の子であるかどうかなんていう話とは無縁に,ただ望ましいものとしてそこにあるように思える.

ヴィルヘルム・マイスターの修業時代〈下〉 (岩波文庫)

ヴィルヘルム・マイスターの修業時代〈下〉 (岩波文庫)

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