龍神四方山話(3)

芽依子のもう一つの話を読んだ.これもまた長い.芽依子と距離を置くとこの流れになるので,翔平がこの村で新たに芽依子と出会うというよりは,翔平が第三者として龍神伝説の続きの世界へ迷い込むような形になる.つまり,言葉臭くない.

再三,芽依子の料理のことは述べられてきたわけで,どんな身体になっても料理を続けてくれたわけで,そのために未来,芽依子の成長は料理の上達具合によって測られ,また偲ばれる.

生まれ変わりという言葉は本当にそうであるかというのは抜きにして,素朴に縁の深さを言うときにも使われる.僕は幼い頃に伯父を亡くして,後に僕の食べ物の好き嫌いが同じだったがために,僕は伯父の生まれ変わりであるように呼ばれ,そんな風に故人を偲ばせてしまったことがある.同じ時代に生きていたので生まれ変わりもなにもありえないのだが,人はそんな風に偲ぶものであるし,故人とそういう繋がりを持てることは僕にとっても有り難い.それまでは仏壇を前に話すべき内容などなかったからである.

今はもうここにいない人のことをご飯で偲ぶというのは僕にそういうことを思い出させる.共に暮らした時間とは,結局,食事の時間が一番長い.

あと,彼方さんたちがさくらに対して桜花のことを話していたことが判ったので安心した.隠す理由などない.そしていつか翔平も同じようにするだろう.あの家族とその周りにいる人々が目の前の人を愛するにあたって,過去が目を曇らすということはないように思われる.

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