風雨来記

気持ちが落ち込んだときには風雨来記(フォグ).相馬の旦那の話を聞いていたら気持ちが復活してきた.

2001年以来こまめに進めてきて,ようやく斉藤姉妹編を読了.本ゲームでは北海道を好き勝手に走り回ることが出来るわけであるが,釧路周辺を旅している斉藤姉妹と約束通りに会おうとすると,進路に制限を受けなくとも自ら釧路から離れた場所には行かなくなる.その上で最後,遠く離れた道北へ舞台が飛ばされるため決着の地らしい雰囲気が感じられる.自由に移動できる地続きの場所なのに,行動するうちにおのずと場所が区切られて,それぞれ違ったように意味づけられるのが不思議だ.また,姉妹が思い出の夕日の見える岬を探しているというのがポイントで,釧路周辺で見つからないとなると海に沈む夕日の見える場所は地図上で道北しか残らない.そんな推理が可能なところも面白かった.

母や祖母というのは博識だというイメージがある.父や祖父と比べて知識の量が多いのかどうかは判らないが,少なくとも知っていることを僕に話してくれるのは母や祖母のほうであるから,自然そう思う.博識というのは知っているかどうかというよりは語り手であるかどうかということなのかもしれない.斉藤冬も夏に対してそういうところがあったのではないだろうか.夏は学校であった出来事などを入院中の冬に話し,冬はベッドの上で読みふけった旅行雑誌から得た知識を自分がさも見てきたかのように夏に語ったのではないか.相馬轍は冬に対して失った母の面影を重ね,彼の幼い頃の思い出から素朴に想像される限りでは,冬の夏に対する慈しみが母のそれを思わせたのだろうけれど,それにしてもあの冬の饒舌ぶりには聞き手にとって無視できない何かを感じる.轍の母も死が刻一刻と近づく中でベッドの上から幼い轍に声をかけ続けた.だから轍は立て板に水で薀蓄を話す冬の中に母と同じ語り手としての女性を見たのではないだろうか.

重ねて言えば,夏がホテルのロビーで鏡に向かって話をしたように,冬は語ることによって存在している.「ってグランマが言ってたのか?」「そうよ」

ないはずのものが在るとき,例えば何かが化けて出るとき,あるいは知られざる内面が表に出たものとして感じられるようなものがそこにあるとき,それは言葉である.冬は夏の知らないはずの言葉を語っている.冬本人は夏の知らない場所は自分も知らないと申告するが,場所でなければ例えば,夏がルポルタージュの語源を知っているようには見えない.夏の知らないことは冬も知らないというのは一見筋が通っているが,実はわやくちゃである.何せ夏は冬のことを知らないのである.そしてそのことを冬は知っている.もしも夏が語れない言葉を語る者が冬であるとすると,それは生まれつき饒舌である.

しかし,冬は肝心のところで秘密を持っている.語れない言葉を語る者がまた独自の語れない言葉を持つとき,今度は冬の秘密が化けて出ることだって有り得るはずであり,そうすると事態はどうも,語れない者,語る者なんて区別が怪しくなってしまう.冬が単なる語り手でなく恋をもしてしまうのは彼女が秘密を持っていたからであり,だから彼女の「嘘」という言葉が切ない.

以前の記述はこちら.

風雨来記
風雨来記(2001/1/24)
 さっきもう一度阿寒湖へ行くまで誤って記憶していたが,摩周湖にマリモはいない.あと今回は道に迷わなかった.大進歩である.
旅人の心(2001/2/18)
 それは、君が旅人の心を持ってるからなのだ!

グランマ
sense off グランマ

風雨来記

風雨来記

オフィシャルページ
斉藤姉妹編のライターは小林且典氏.Webページには斉藤姉妹のノベルも掲載されています.どうやら私の大好きなあのにぎやかな兄妹たちの話を書いた人でもあるらしいです.きゅんきゅん.
WORKSを見ると,僕より水姫のほうがやってるゲーム多かったり.

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