しかぞすむ

ご当地チェックにあるよう,奈良の子供ならば地元にちなんだ歌の1つや2つは覚えており,百人一首で遊ぶ際にはその1,2枚を巡って(のみ)瞬間の攻防が行われる.僕らは奈良市内の生まれであるので,奈良の都の八重桜,であるとか,三笠の山に出でし月かも,と聞きなれた言葉の織り交ぜられた歌だけはよく覚えていた.言葉が指すものよりも言葉の響きのほうが大事で,しかぞすむ,がどう解釈されようがともかく「しか」という言葉の入っていることが親しみを増すのである.ならの小川も然り.

先月,井真成の墓誌発見にちなんで三笠の山の歌が新聞やWebで採り上げられた時,そういうことを思い出したのであった.あともう一つ思い出されたことは川原泉を読む人なら誰しもそうであろうが「中国の壷」である.作中の安曇羽鳥は仲麻呂と同様,唐に渡った留学生で,彼は若くして命を落としたがあのまま生きていればちょうど井真成くらいの歳になる.

中国の壷では,羽鳥の死に責任を感じた趙飛龍という武官が壷の精として日本へ渡り,代々安曇家の当主を見守り続ける.仲麻呂が唐土で詠んだかの歌はどうやって日本に伝来したのか不明であるが,もしかすると彼が羽鳥の思い残した気持ちとともに伝えたものかも知れない.

中国の壷 (花とゆめCOMICS)

中国の壷 (花とゆめCOMICS)

(世話を焼き,焼かれることの幸せがあります.川原泉ってだいたいそういうのだけど,奈良朝に縁があるためか僕はこの話が一番好きです.文庫版はこちら.

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