うつくしきもの

子供が文章を朗読するのは好ましい.大人がするのを真似て抑揚をつけたり形をきちんと整えて声を出すのはませていて,それは聴く者に彼の真っ直ぐな成長を予感させるのである.高校のときは漢文の授業が大好きで,先生は僕らに史記の黃石公が張良へ三略を授けるくだりなど暗唱させて,僕らは無意味な情熱でもって競うように覚えて,「孺子,下取履」(じゅし,おりてくつをとれ)なんてえらそうなフレーズを子供が喜ぶみたいにして言い合った.今にして思うと一番楽しかったのは先生だったろう.成長が遅れて声変わりしてるのだかどうだか怪しい子も交じえ,男の子たちがそんな風にするのを,あのおじいさん先生はうっとりと聴いていたに違いない.

だけど,いちばん声が美しかったのはあの先生だった.病気で片肺を無くしておられたにも関わらず,その朗々とした声を聴くと背筋がぴんと伸びたものである.だからこそ僕らもそれを真似しようとしたのだ.

中学高校の女の子がどんな風に文章を読み上げるのかというのは僕にとって想像するしかないのであるが,それは例えば古文を学ぶ,こんな風景であるかもしれない.

【みなも】「『白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを』……うーん」
(中略)
【智也】「それじゃあ,見せてもらおうかな」
【みなも】「あーだめだめ.わたしが直接読むんです.いいでしょ,智也さん」
【智也】「うん」
みなもちゃんは,楽しそうだ.それはオレにも伝わってくる.
【みなも】「では」
【みなも】「きらきら光る白い玉はなんなのと女が聞いて,私はあれは夜露というのだよと答えたけれど,いっそ,その時一緒に夜露みたいに消えてしまえばよかったのに…」

Memories Off(伊吹みなも編)より

伊勢物語を現代語訳するのにみなもはなにかと声に出して読もうとする.彼女ははじめ原文を読むときは意味があまり掴めてないので平たく読むのであるが,後で読み上げる彼女なりの現代語訳のほうには気分が乗っている.うっとりである.

小学校1年か2年のころ,草野心平の「春の歌」を一人ずつ読んでみて,いちばん上手な子が学芸会か何かのステージに立ったことを覚えている.それは柏木楓に似た女の子で,彼女の朗読には少し背伸びしたような気品があった.「ケルルン クック」の声が,低く,ケルルーン,と溜めて,クックと上がるのである.彼女はあの頃,僕が一番好きだった女の子で,昔っから女の子の朗読には弱いらしい.

正しい形や節のついた声はいつもとはかけ離れたどこかへ僕を連れてゆく.先程は勢いで,僕らの話す言葉がみな韻を踏んでいたらいいのに,と言ってしまったが,実際は時々あらたまってそういう声を出すからこそ,そこに成長する心を見たり,信じられないような美しさを感じたり,普通ではない形で巻き込まれたりすることが出来る.She'sn(Accent)の柊鈴音との出会いは彼女がもの悲しい詩を朗読しているところであり,それがこちらの気持ちをぐっと彼女の側に引き寄せる.

だから,時々でいいから,そういう気持ちになって,生きていけると確認できることを期待しながら,声を集めている.

「星はすばる.ひこぼし.ゆうづつ.よばひ星,すこしおかし.尾だになからましかば,まいて」

六ツ星きらりの星見すばるは智樹と恋をするためのとっておきのタイミングでそれを誦するのである.例えば名前の由来を,父と母から聞かされて育ったその声を,空を見上げ言葉を結び誦することによってようやく思い出は大切なものとして積み上げることが出来るように感じられる.鈴音の朗読する詩は自作のものであり,あるいはケルルンクックなんていうけったいな言葉であるとか,詩や連想の世界は通常恥ずかしいものなのだけど,出会いとか始まりとかの一瞬にだけ恥ずかしげもなくそこに存在し得ることがある.時々そういう美しいことがあるから,僕は生きていられるように思う.


She'sn

She’sn

(↑そういえば移植されていたのだった.)

Memories Off Complete

Memories Off Complete

ちなみにOVA版でみなもが朗読するのは現代語訳のほうのみ.

六ツ星きらり

六ツ星きらり

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