薄紅天女

東京大学本郷キャンパスの間を抜ける言問(こととい)通の名は,伊勢物語第九段東下りにおける在原業平の歌に由来する.

「名にしおはば いざ言問はん都鳥 我が思ふ人は ありやなしやと」

都落ちした業平が隅田川を渡る際に,船頭に都鳥という鳥の名の聞いて望郷の念にかられたというお話である.言問通とはその隅田川にかかる言問橋に端を発しており,こういうお話があってようやく僕の東京での暮らしと関西での暮らしが繋がるように思える.伊勢物語については伊吹みなもをはじめとして最近いくつか縁があり,先日Eさんとご一緒した際には荒山徹の「魔風海峡―死闘!真田忍法団対高麗七忍衆」という小説を紹介して頂いた.なんでも伊勢忍法というのが凄いらしい.

僕「なんか名前だけでありえない香りがしますね」
Eさん「いや,しかもこれがお伊勢さんのほうじゃなくて伊勢物語の伊勢やねん」

(以下ネタをばらしています.)

Eさん「伊勢忍法『都鳥』というのがあって,地中に潜って相手の足の裏に都鳥の歌をさらさら書くと,そいつは都の方角へしか向かえなくなって,舞台は朝鮮だから釜山へ行きたくても漢城へ向かってしか歩けなくなるねん」
僕「言葉の違う国で通用するのが凄いですね!」
Eさん「そうやねん.多分フランスで使ったら相手はパリのほうへしか歩けなくなる」

とかなんとか.

業平寺こと奈良の不退寺は僕が子供のころ通っていた塾のあたりにある.しかし,国道24号沿いに遠巻きに見たことがあるだけで行ったことはない.最近縁付いていることであるし不退寺について少し調べてみると,業平がお寺として改めるまでは彼の祖父である平城天皇の退位後の御殿であったという.平城天皇は即位前に安殿皇子という名前で,とこれはどこかで聞いた話でありもしやと思って確認したら,荻原規子の「薄紅天女」がその話で合っていた.連想は面白いように転がる.

数年ぶりに「薄紅天女」を読み直した.少年の身体に女性の力が宿ってしまう混乱であるとか,とりかえばやもかくやの男女の衣装交換であるとか,昔読んだときにはそういう男の子とか女の子とかいうくだりばかり気に入っていたが,今では熱病が去ったかのように全く違う印象を受ける.
兄妹,姉弟,あるいは叔父甥であるが兄弟のような関係がいちいち良い.例えば苑上内親王は乳母や弟にはえらそうな口のききようであるが,大好きな兄(安殿皇子)に対しては丁寧な言葉遣いへと変わる.弟には女神であるがごとく,兄には淑女であるがごとくだ.こういう都合の良さが可愛らしい.

薄紅天女の元となった更科日記の竹芝伝説によると,武蔵の国に憧れた天皇の姫君が竹芝の男とともに東下りする.竹芝とは隅田川に程近い地と思われ,同じ場所ではないはずであるがゆりかもめの竹芝駅や竹芝桟橋にその名残りがある.業平と苑上の東下りがそれぞれ実際にあったことであると想像してみると楽しい.都鳥の武蔵はうら寂しい一方,薄紅天女の武蔵には幸いがある.業平もまさか自分の祖父の妹君が自分と同じ旅路を行き,そこで幸せに暮らしていたなどとは思いもよらなかったであろう.

薄紅天女

薄紅天女

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