夏休みが待ち遠しい

古いものは遠いところになくてはならないと思う.先日発売された「白のふわふわ」には山名沢湖の商業デビュー作が収録されていたが,僕にとっては古い漫画であるのに紙面は白くきらきらで,実家に残してあるamieの切り抜きは捨てることが出来ないと思った.それは遠くて,色あせている.

例えば僕が7年前に書いた感想がどういうところに置いてあるのかというと,
ここから始まって,
chronicle
星影拾遺(1996-1999)
短冊懸
天球儀植物園
夏街通信
「雨の日と世界の終わり」に寄せて
と6つも辿った先にある,検索を使わないとすれば,ガイドなしには辿りつけない場所だ.Webページは色あせるべきである,なんて安易に実世界のありさまを電子世界に当てはめるつもりはないのであるが,古いものが残されるときには時間を感じさせる属性が何か与えられるべきである.今と昔とが平たくならべられてしまうと時間感覚が無茶苦茶になって落ち着かない気分になる.

古くてもう誰も手を入れないようなものが目立つところにあると,さらしものにされているようで切ない.電子のコンテンツを供養してやるいい方法はなくて,今のところ僕に出来ることは,深く,深く,埋めてやることくらいである.


白のふわふわ―9 clouds of Yamana world (Beam comix)

白のふわふわ―9 clouds of Yamana world (Beam comix)

2003年2月の感想

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