彼女が髪を切った理由(ハウルの動く城(1))

女の子がその日の気分に合わせて洋服を選ぶとか髪型を変えるとか,あるいは逆に楽しい気持ちになるために着るお洋服があるなんて話すのを聞いていて羨ましかったことがあるのだが,僕もジャケットやスーツが増えて服のフォーマルさにバリエーションが出てくると,なるほど,ジャケットを着て外に出ればしっかりとした気持ちになるものであるとか,服と気持ちとの関係が多少判るようになってきた.
とは言ってもやはりたくさん服を持っていたり髪の毛をいじることが出来るのはやはり女の子のほうである.髪型を変える極端な話といえば「涼宮ハルヒの憂鬱」(谷川流)であって,ハルヒは月曜の0から始まり日曜の6になるまで髪をまとめる数を順番に変えている.つまり火曜日はポニーテール,水曜日はツインテールで,ハルヒにとって各曜日はそういう気分であり,彼女はそれを髪型で直接表現しているのである.曜日ごとに髪型を変えるというのは色んな方向に興味の向いてる彼女らしいのであるが,もう少し長い範囲で捉えると彼女は週の繰り返しとともに周期的に生きてしまってるのであり,それが彼女の息を詰まらせているようにも見える.朝起きて朝ご飯を食べる普通の日常というやつを彼女は嫌ったのであるが,変えようとして試したのだろうその髪型によって,彼女はありきたりの一週間に捕われてもいる.そんな風に見えるのは,この髪型の周期がキョンの一言によって壊されてからというもの彼女がとても生き生きとした状態になり,二人は急接近し,ついには一つの新しい部活動が生み出されるまでに至ったからである.
今日見に行った「ハウルの動く城」では服を変えたり服に変えられたりといった話が見事なバランスで描かれていた.魔法使いが何人も出てくるような話なので,服や髪だけでなくその人自身の変身変化もそこには含まれている.髪の話から始めると,ハウルは男の僕でも惚れ惚れとするくらい格好いい大人なのであるが,ソフィーが彼の魔法色の美しい髪を子供の頃の色に戻してしまうと途端に子供みたいになってぐずりだす.あるいはソフィーは悪魔に目や心臓ほどの価値があるものを求められて三つ編みの髪を差し出すのであるが,それで髪が子供みたいに短くなったせいか,直後,仲間とはぐれて一人と一匹で旅をすることになる彼女は素直によく泣くようになる.ここで彼女はハウルが死んだと思って泣いてしまうのであるが,髪を切るといえば大好きな男の子を失ってしまったから髪を切るというのは順当である.しかしここでは髪を切った後に彼女は大好きな男の子を失ったと思って泣いてしまう.彼女が髪を切った理由とハウルのために泣く事とは本来繋がっていないのであるが,ぼろぼろと泣いている彼女は髪が長い状態よりも髪を切った状態であるほうがしっくりとくる.こうした順序の転倒が予言めいて聞こえるのは順序を考えてしまうからで,およそこういうことはどちらが先と言えなかったり,ある程度の時間のずれを許容してしまうようなものであると思われる.そういう曖昧さを描くことは映像ストリームの得意とするところで,自動的な流れに身を任せることによって僕は前後不覚の魔術にかけられる.
服装についても,ハウルの魔法で服を綺麗でしっかりとしたものに変えられたソフィーはそれまでよりもいっそう毅然として見える.なにせ国の摂政さまとやりあうのだからたいしたものだ.もともと怖ろしい魔女にもひるまない鼻っ柱の強さである.ぼろぼろの服は似合ってなかった.似合うっていうのはその人と服とが釣り合ってるときに言うもので,それは人が服を着るとか人が服に着られるんじゃなく,人と服とが対等であるときにそう見えるように思う.
魔法による変身は服や髪のように一定の形に留まる必要がないのでもっと面白くなっている.ソフィーの気持ちによってソフィーの外見は変わり,外見が変わったことによってソフィーの気持ちが変わる,その変化がアニメーションによって細やかに描かれている.18歳の少女であるソフィーは荒地の魔女の魔法によって老婆の姿に変えられた.老婆になったソフィーは気持ちまで老婆になってしまって,歳を取るとずるがしこくなるねぇ,なんて本来の歳ではありえないことを口にする.歳を取ったおかげで肝が据わってくると今度は元気が出てきて,綺麗な服にも助けられ,ついには摂政を前にハウルをかばっているうちに恋する少女へと姿が変化してゆく.そんな風に気持ちと姿とがぐるぐると相互に作用する様子がモーフィングと声の変化の演技によって描かれており,そのたびに目のさめるような心地がした.

気持ち次第で自分の姿が変わるという話は勘弁してほしい.こんなころころと変わる気持ちに姿が左右されてはたまらない.逆に姿によって気持ちが規定されるという話も嫌なものである.ナルシストでもなければ生きる気が失せるというものだ.実際,そのどちらかという極端なことはないのであって,服は着るものであるし,いい意味で服に着られることもある.その両者が引き合うという話は普通であると思うが,それを動画にして見せたところが凄いのである.

姿のくるくる変わるのが面白いので,話のほうもそれにあわせてオモチャ箱のようになっている.戦艦や戦闘部隊をわらわらと出す一方で,キスをすると王子の呪いが解ける話である.かかしとハートのない青年と勇気のない犬と言えばオズの魔法使いを連想させる.助けてやったかかしや犬が味方になるというのもおとぎ話らしい素朴さである.魔法の話として読むと,使い魔であるこの犬が自力で階段を昇ったり降りたり出来ないのは背が足りなかったり勇気が足りないからというよりも魔法ゆえの制約のように思える.例えば吸血鬼って川を渡れないって言うじゃない.そういうあっち側のものたちに科せられた制約みたいに見える.ハウルの過去世界においてその制約を打ち破ってソフィーの元へ飛び出したとき,彼はソフィーの仲間になったのだろう.吸血鬼といえば,ハウルの魔法の城には普通は誰も入れないのであるが,どんどん居候が増えてゆく.それはカルシファーによるとソフィーが招いたためであると言う.招かれないと入れないというのも吸血鬼のことを連想するとそういうこともあるかなと思わせる.あとハウルの秘密のことも面白い.ハウルの秘密は実は町に流布している「美女の心臓をとって喰らう」という噂に含まれてしまっている.秘密というのは隠しておけないもので,大魔術師の秘密でさえもそれと全く気付かれないような形で町中の人が知っているのである.魔法というのはそれくらい脆いものであるし,脆いものであるからこそ強いのだろう.この噂がどこから漏れたかなんて考えてみるのも面白い.ハウルは女の子にひどくフラレた過去があるらしいが,その話がいつの間にかそんな風になってしまったのかも知れない.単に心臓とは心のことであって,女の子の心を奪い取る美青年であるからそう言われ始めたのかもしれない.なんだっていい.このあたりのことはいろいろ想像できるからこそ面白い.

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