パンツの効用

D.C.のオープニングのパンツとかうた∽かたのパンツとかは基本的にアニプリの変な像と一緒であると思う.僕が怒った最後のパンツはモルダイバーのパンツであって,不自然なカット割りでパンツを見せられることに全く納得できなかったのであるが,今ではそういうズレが残されてるアニメのほうが見やすい.少し距離を置いて見ているほうがいろいろ連想したり自分のことを思い出したり出来ている.

パンツのいいところはズレを残して謎は残さないところである.あの変な像はパンツよりも意味深であるところがいけない.そのひっかかりを解こうとするとどうもアニメの中に入って行ったりアニメの外に出て行ったりして証拠物件を集める必要が出てくる.そのどちらも行き過ぎで,僕には少し離れて見てるくらいがちょうどいい.僕とテレビとの距離はいつも1メートル半ほどであって,気持ちの距離もだいたいそれくらい離れている.

仮にパンツが何らかのズレであるとすればそう思うのであるが,最近はそもそもパンツが目に入らない.僕の目はそんなに大きくない,とかではなく,ともかく画面で何かちらちらしていても夕飯のおかずが微妙に一品増えてる程度にしか感じられないのである.散りばめられているらしい謎についても同様であって,こういうのが三十路前の心境というものであろうか? ギャグの切れも酷い.

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