フィクションの少年少女に優しい

近頃なんとかまたノンフィクションを読むことができるようになった.昔はなんとも思わなかったが今は読んだ本の文章が僕をずるずる引きずってゆくような力を感じる.自分の興味のある内容であるほど本の中の新しい発想が自分と凄まじい速さでかみ合って,熱病のような1時間の中になんらかの筋の通った理論が出来そうになる.それは瞬間,日記で公開したくなるような輝きをもつのだけど,あともう1時間ほどじっと考えるとそういう気持ちはなくなってくる.Webで日記を公開するようなことがあまりなかった時代にはそもそも大学の端末(DECのDigital UNIXだった)を使ってファイルに書き残すだけで満足して,これは後々すばらしい論文の一部となって発表されるに違いないなんて思いながら寝かしておくのだけど,それは半年ほどたって読み直してみるとかけ離れた感じがして,長い時を生き抜くことが出来るほどには僕と契りを結んだ文章でないことに気づいたものであった.そのことを思い返してみても本と自分との距離には気をつけたいと思っている.

本に熱中した直後はその本に深入りしてしまったこと以外を書くのは難しい.僕がそこから抜け出すためには二つ方法があって,最近はじめたことは声に出して何か喋ってみることで,そうすると力が抜けてこの微小の文字禍から抜け出すことが出来る.もう一つ数年前からやっていることとしては本題に入る前にそこから連想されることや背景の出来事をたくさん書くという方法がある.特に自分に関係の深いことを書くのがいい.いつもどういうことを考えていて,今日どういうことがあって,ということを書いているうちに次第に意識が本から自分のほうへ引き戻されてゆく.

文章を書くということはどういうときもそんな振る舞いを見せるように思う.僕が長い文章を書くのはたいてい怒っているか泣きべそかきたいようなときで,その次がなにか切ないような気持ちがするときで,そういうときは気持ちの中に深入りしすぎてまともな文章にならないわけだけど,それを抑えて文章を書こうとすると長い前置きを必要とする.そうすると天に向かって無責任に投げつけたいような気持ちが自分に近づいてくる.

僕がふだん軽薄だったり攻撃的なもの言いの少なくないことは僕と会って話したことがある人なら知ってるだろうし実際よくそう言われるが,それは目の前の人間が相手だからであって,よく知らないたくさんの相手からの怒りとか泣きべそとかについてはとてもじゃないけれど引き受けられない.引き受けられないことを招くような行動は慎みたい.

フィクションについてキャラクターとの対話を考えるとき,彼らは僕の言いぐさに対して反論できないということが判る.反論できない相手に対してどこまで言っていいものかいつも悩みながら書いている.ときどき筆が滑って悪口を書いてしまう.のちに後悔してWebから削除する.壁に書いた悪口は悪いと思ったら消すべきである.それでも僕の心からは消えないし,彼らの心からも消えない.

善悪に関してはお父さんみたいな人がいて,うっかり悪の文章を書いてしまった後にはいつもその方の顔が浮かんだ.僕の文章に関する善と悪は少なからずその方に支えられていた.本当は顔を知らない.お会いしたこともない.Webで数度言葉を交わしただけである.亡くなられた後にも僕はそのことを知らず,軽薄な文章を書いては後悔をした.訃報をお聞きした今でもそれは変わらない.

僕にとってはつい先日のことと思えるのだけれど,本日が一周忌であるそうです.
ご冥福をお祈りするとともに,また,
しのぶさんと雪さんとがどうかいつまでも幸せでありますように.

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