ONE

長森の話はもう一度たどらなきゃね.

たどる,って言葉がもっともしっくりきます.お話というのはまずは僕のほうからたどろうとするわけで,働きかけようとするわけで.そうした自分からの働きかけを必ずしも前提としないのが僕らの生活のうちのお話でない部分だね.やつらは勝手にやってくる.

お話というのはそういうものと考えたい.本当は逆かもしれないし,たどっているつもりがたどらされていたとかいろいろあるわけだけれど.

お話が,っていうのは戦線を拡大しすぎかもしれないね.美少女ゲームというのは僕が彼女たちをたどろうとするところから始まる,ということにしておきたい.水姫がいうところの「ギャルゲーは出るまでが華でギャルゲーはプレイするまでが華」というつまりセンチメンタルグラフティの洗礼を僕も少なからず受けているわけですが,彼女らに興味を持ったからこそゲームを手に取る,という手順そのものはよくあることであって.そのときの気持ちをどれだけ重要視するにせよ,あなたに興味がありますよ,って気持ちからはじまるゲームというのは,彼女らと向かいあうときの姿勢を正しくさせるものではあるね.

ふと,ライトノベルがギャル/美少女ゲームに近づくことがあるのかな,と考えてみたけれど,それはおそらくキャラクター紹介とキャラクターごと?のあらすじとサンプルイラストの紹介が発売前にWebページや雑誌で告知されるようになったときだと思われました.ライトノベルのイラストの枚数ってサンプルをたくさん紹介できるほどには多くない.そもそもメディアが違うのだけど,他のところでもたぶん,異なる道を歩んでいるのでしょう.

あと,たどる,って言葉は,その人の人生を追いかけて見てゆくような気持ちであるところもよいです.

僕は長森をたどる,とか.なに言ってるだか.

もちろんお話云々はこちらの猫のこととは逆のことを言っているか,あるいは,どうもこう語らねばならぬ,そうでなきゃいられないというそれこそ僕のお話かと.

海が、

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