階段をかける少女

学校の廊下や階段を走ることには本人にしか判らないような理由があって,みんなが理由を知ったり納得したりできないからこそ風紀委員や先生はそれを注意する.誰かから逃げなきゃならないとか追いかけなきゃならないとか,遅刻するとか,あるいは階段部の活動であったり,走ってる人というのは本人的になにかが大変なことになっているのだけど,周りから見ると跳んだり転がったりなにやってんだか判らない.時をかける少女については,実際見てるとタイムリープをするには走る必要などないのに本人としてはそう信じ続けていて,そんなわけわけらん走ってる人のその人なりのなにかが別の人にも見えたとしたら,それが恋のかたちではないかしら.千昭くんにだけ判るっていうのはきっとそういうことで,自分もあれを使っているから判ったというばかりではない.

あえて学校の階段をかけ上がらねばならぬしんどさが可笑しい.おそらくは,しんどいほうが効果があると錯覚してるんだろうけど.おばか.もちろん階段をかけ下りることには技術的な難しさがあって,階段部の連中のような修練を必要とするためでもあろう.校舎の立体,中庭と回廊は迷路であり,劇場であり,人や物は飛んできたり避けたりぶつかったりの障害物であり,そうした場所を女の子がかけてく姿というのは見た目,愉快.君を階段部へスカウトだ.

校舎を離れて街へ出ると交通標識やら赤信号やら品のない絵が増えるのだけど,最後にはぜんぶすっとばして走る.象徴くさいものどもにグッバイだ.

姉妹の仲良さそうな様子がとても幸せなお話でした.とっさに何か話さなきゃならないときには妹の話題しか出てこないあたりが特に.そりゃ同じ部屋だもんなぁ.あと手を振り合うところも好き.

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