竹宮ゆゆこ「とらドラ!」 (1)

この人の話は胸が苦しくなるので避けていたのだけど,電柱と戦う話だと聞いたので読もうと思った.それと戦わねばならぬということは直感できる.

読後に町を歩いたら電柱のことが気になった.すると,町の電柱というのはほどんどが傾いてるものだということが判った.つまり,そうした気づきに関するお話でもある.

後半,いつものごとく文字が頭に入らなくなってきて,何度も同じ行を読み返す破目になる.こんなときは自分の好きなペースで読むことが出来るだなんてそんな酷な話はなくって,映画のように勝手に過ぎ去ってくれればいいと思う.そこで北村君の「逢坂。大丈夫だよ。大丈夫」という言葉が良い.大丈夫な気がしてくる.彼は言葉遣い師であって,こういう人が逢坂と竜児の近くにいるのは望ましい.なにせこの身は一つである.竜児は逢坂の「傍にいるぞ」と言うのであって,この大丈夫と傍にいるとが北村君と竜児との違いである.傍にいたり電柱を一緒に蹴ったりするというのが言葉の器用でない竜児にできることで,言葉については逢坂も似たり寄ったりで,傍にいることによって身体を互いに占有させている以上,第三者にとって空きのある手段は言葉しかない.言葉っていうのはここでは竜を虎と並べるような連想のそれではなく,ひとつづきの談話のなかに並べられ,うそやほんとや断じたり留めたりがうねっているそれで.北村君は逢坂と竜児との関係を勝手に読み解いて言語化してしまうようなことはしない.大丈夫,と必要なだけの言葉と,必要なだけの保留があるように見える.安心したとか大丈夫だとか何度も交ぜてるあたりは,逢坂にさし向けるべき言葉をちゃんと選んで話しているようでもある.逢坂に対して贈るべき言葉というのはなくて,それがあるのだとすれば彼女らが電柱と戦う必要などないのであるが,さしあたって言えることがあるとすれば,北村君のように彼女らと関係し,また根拠もなく言葉に力のある人が,大丈夫,と言うことくらいではないか.

親が仕事に出ている間,姉弟がふたりでテレビを見て過ごした日々のこと.べつに会話とかなくても,たぶん,独りよりは良かったその退屈な夜のこと.それぞれの独りの夜が描かれなくて,二人のところから始まったから良かった.独りでテレビなんか見たくねぇ.竜児君とこにお泊まりしにゆきたい.

ところで「逢」という字を正しく呼んでやれないのが悔しいのですが.

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