死せる妹の会

みたいなそれ.気分なので判んなくていいけど.泣くの無理.むしろ死にたい.

谷川流「学校を出よう!」(1) どいつもこいつも勝手なことを,この電波たちめ,であるのだが,SOS団の連中より臭いところの,つまりは火宅,それラスト見たまんまじゃねぇかという大炎上.

想念という言葉が暴走している.想念し得る推理を押し付けてくる者や想念されるがままの混沌を望む者,自分勝手な強固な想念をこそ声高らかに述べる者.そして妹を想い「全部ノー」であると口を閉ざすのもまた.クソ想念に立ち向かうのは同種のそれしかなくて.忌むべき想念バトルの結果,もう目覚まし時計は飛んでこないのであって.想念なんか死んじゃえ.

いや,実のところ春奈が消えてしまったことについて確かな原因と結果なんて言えないわけであるが,そこに至るまでにあった気持ちの流れのうえではともかく人間や何かに責任を置きたくてね.だから第三の中庭に電柱を植えにゆきたい.それでもって,つまり,とか言ってまとめようとする僕は死んじゃえと思った.いまを生きる.

傑作である,と手放しで想念しようとすると死んじゃえという気持ちになるので,作中のやり口を借りるなら《    》とでも記述すべきピアノの音のようなものが手元に残された全て.

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