4.

長い目でみるというよりはもっと集中的に,例えばある物語の場面でキャラクターと会話を続ける方法についての話に戻ります.これはやはり人がリアクションしやすいような会話の状況があると都合が良くて,先に述べたような人が使い慣れた道具に会話を乗せるという以外にも,リアクションしやすい話の状況や流れが設定されていると,話を続けやすくなります.先のメールドラマ北へ。はメル友の紹介サービスを通じて出会うという設定で,先方の友達が勝手に登録してしまったため要領を得ないやりとりになったり,使い慣れないためか文字の打ち間違えがあるとか,こちらから返事はできないもののメールで会話するときの様子がうまく表現されている点では引き込まれました.

会話はデザイン次第でうまく続けられるということを強く感じたのは,アクワイアのボイスアドベンチャー,デカボイス(2003)*1です.これは会話の進行をすべて自由な音声入力で行うゲームですが,それでも破綻しにくいつくりになってるのは,まず,会話の内容や流れによって自然と話すべきことが限られるようになっているためです.刑事ドラマなので調査すべき項目はシーンによって限られていて,尋ねるべき内容も自然と直前の相棒との会話から耳に入ってくるようになっています.あと,捜索するということは画面の中のものを探すということなので,これもいい制約になります.バール状のものを見つけて僕がバールだ!といったのに相棒が対応してくれたことには驚きました.あとは雰囲気の部分で,機械的には名詞程度しか認識できていないと思われますが,これは刑事ドラマの世界ということで,僕がしゃべるときには名詞以外のところでそれっぽい雰囲気を出すわけです.製作者インタビュー*2にもありますが,単に「コカイン」と訊くよりは,「コカイン持ってるんじゃないのか?」と少し節を回しながら訊くほうが自然で,気持ちも乗ってくるわけです.なんでもうなずいていれば会話が進む部分でも,相手の冗談には「はっ,馬鹿言え!」などいろいろ合わせて答えられるのが楽しいところです.

ゲーム機に限って話を続けますが,今は亡き PioneerLDC の NOëL NOT DiGITAL(1996年)は画期的でした.テレビ電話の普及した近未来の鎌倉を舞台に,プレステの画面をテレビ電話のコンソールに見立てて,女の子と会話するつくりになっています.向こうは音声と映像で,こちらは会話ボールと呼ばれる話題の種のみ投げることができました.当時テレクラゲームであると揶揄されたことは逆に言うと,そうした暮らしの文脈で捉えられるほどに上手くデザインされていたのだと思います.ゲーム機を通信機として見立てる発想としては,未プレイですがオペレーターズサイド(2003)のそれは音声認識を採用しており,こちらから遠隔地へ指示を出すという形で日常的にありそうな通信機の使い方をさせているように見えます.音声認識を使ったものとしては,シーマン(1999)ではテレビ画面を水槽に見立てて,シーマンというもの言う生き物を育てるようになっていました.ピカチュウげんきでちゅう(1998)ではポケモン世界と繋がる窓のようなものになっているようです.N.U.D.E.@*3の場合は女性型ロボットP.A.S.S.と同居する話なので画面がインタフェースとして見立てられているわけではありませんが,ヘッドセットマイクを通じて会話をします.ロボットだからマイク入力するというイメージでしょうか? シーマンもP.A.S.S.もあんまりうまく答えてはくれませんでしたが,こういう場合,相手がなぞの生物だったり言葉を覚えたてのロボットであったり,うまく答えられなくても仕方ないと思えるような状況があらかじめ設定されています.音声認識を用いたソフトは検索すると他にもいろいろありますが,あまりよく判ってないものを採り上げるのもどうかと思うのでこのへんにしておきます.

ワンダープロジェクトJ(1994)もおそらくはスーファミを一種の通信機に見立てて,その向こう側にいる異世界の少年を育てるゲームです.音声認識も会話のようなやりとりもできませんが,こちらから簡単な指示を与えると向こうからリアクションが返ってくるようです.これはTVCFが美しく,少年と画面の中の少年がキャッチボールをします.
http://www.youtube.com/watch?v=kLtKpFYxdD8
また,ワンダープロジェクトJ2(1996)のTVCFは大きな反響を呼びました.これはもしも知らないならば見ておくべきです.
http://www.youtube.com/watch?v=MkknL_kaBYk
ジョゼット可愛いですよね*4.TVCFといえばピカチュウげんきでちゅうも話題になりました.おじさんが街頭のゲーム機でピカチュウと話しているうちに,ピカチュウのことが生活のうえで忘れられない存在になってゆくというものです*5.いずれもゲーム機をある種の別世界通信機として捉えることにより,人とキャラクターがともに過ごす日常が描かれていました.

そんな風に,ケータイなどの日用品だけでなく,ゲーム機も通信のための装置であるということは,僕が大切にしたいと思っている考え方です.

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