ロボット

ひとみたいなものであることに対する無頓着さには勘弁してほしいなぁと思うことがあります.
たとえば阪大の女性型アクトロイドの開発者(男性)は彼女の胸に触ってみせるのだけど,それでぎょっとした見学者に対して,彼は待っていたかのように,ほらぎょっとしたでしょう,というのでした.メディアの等式のようなことはロボットにもいえるのであって,ひとみたいなものに対してひとはひとみたいに扱ったり反応したりする,という普通の気持ちを判っていれば,ひとみたいなものを奴隷かある種の道具のように都合良く扱うという話はひとを奴隷かある種の道具のように都合良く扱うときの気持ちを伴わずして語られることはないはずなんだけどね.
技術の目新しさに気を取られやすいけど,ひとみたいなものが,ひとに,あるいは社会に認知される仕組みはよく判っていなくて,彼らの研究もそのあたりに主眼が置かれています.

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