記憶の小瓶

高楼方子の銀の匙.

記憶の小瓶

記憶の小瓶

人の幼少期の話は,
自分の幼少期の記憶を呼び覚まします.
この極私的な回顧話に意味があるとすれば,
その一点に尽きるでしょう.

小学生くらいまでの間,祖母の家のおくどさんを抜けると鬱蒼とした緑の庭があったのだった.入り口のほうの手入れはゆき届いているが,奥へゆくほど人が足を踏み入れている様子でなくなってくるため,そちらへはあまりゆかなかった.しかし,そのもっとも突き当たりの場所にはシーソーのような遊具がいくつか置いてあったのを覚えている.もう朽ち果てて遊べるような代物ではなく,だからやはり何度も見に行くようなことはしなかった.

そういえば誰が使っていたものかよく判らない.さすがに祖母のわけはないので叔父たちだろうか.母のものだったかもしれない.それにしたって30年も昔のものということになる.

誰がつくったのだろうか.当時どこかで買ってくるというものではなかっただろう.おそらくは,大工だった祖父が,いや昔はそう聞いていたが最近になって鐵工所へ勤めていたというようにも聞いた,ともかくそうしたものを作るのは得意だったろうから,子供たちのために作ったんじゃないかと思った.これは今度うちへ帰ったら母に尋ねよう.

その家は全体の半分くらいが裏庭だったように思う.お風呂が伊勢湾台風で飛んでいったため,その分もきっと庭が広かった.孝行息子の叔父さんたちが暖かくて広い家に建て替えたとき,裏庭のあった場所に母屋が移動して,その代わりに前庭が出来た.前庭にはガレージとほんの少しの植物たちが置かれているが,数は少ないにも関わらず一つ一つがおそろしく栄えている.

裏庭からあふれた植物のいくらかはうちのベランダにもやってきた.しばらくあったように思うが,忙しくて世話が出来なかったためかいつのまにか数が減っていた.

最近また,うちのベランダに緑が戻りつつある.

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