2007年の本

いろいろあってあたまぐちゃぐちゃですね.最近読んだものがそのまんま印象に残るといった感じ.

  • 安房直子「きつねの窓」「白いおうむの森」

短編集.あと10年はやく読んでいたら,僕は今とはまったく違う言語を話すようになっていたと思う.

  • 須藤真澄「庭先案内(3)」

物語が止まらない状態になった須藤真澄のお庭.

  • 若山牧水「海の声」

恋に傲った恍惚の詩.西園さんのエクスタシーはここから引き出されることになると思う.

  • 上遠野浩平「しずるさんと無言の姫君たち」

長期入院しているしずるさんの言葉は,時間をかけて考えたことを再生するだけなのですらすらと流れる.お見舞いに来るよーちゃんのほうはそうもゆかないのでその場で反射的に話すしかない.しずるさんがよーちゃんの言葉を愛してるのはお互いの時間の流れ方の違いと,言葉が出てくるまでの過程の違いのためではまずあるよね.あとのところは,遠いところまで足繁く通ってきてくれる可愛らしい女の子のことは好きになっちゃうだろうよと.で,ここまでが「親友」という言葉で第三者的に(たとえば病院の先生の視点として)名付けられるところ.だけど,あれっ,親友ってもっと互いの踏み込んだ事情を知ってるものだっけ? とうっかり考えてしまうところに何か残っている話.もちろん,ふたりの関係がそういうものである必要はなくって.

よーちゃんが病院へ続く山道をてくてくゆく描写が欠かされていないのは,話の導入であったり安楽椅子探偵の場へ移るためだけじゃなくて,よーちゃんがいつも病院へてくてくゆく様子そのものがふたりの核心.
ともかく好きな人の待ってる場所へ独りで向かっているときの気持ちが丁寧に描かれてる作品だよね.

あと僕は作中におけるよーちゃん頭がよい説は支持しない.しずるさんは自分がいなくなった時のために探偵役をよーちゃんに譲位しようとしているようにみえて,よーちゃんは頭がよいということはつまりそのお別れの前提条件になっているので.

椋本さんの描くよーちゃんがどんどん可愛くなってゆくのは年に数刊しか出ない雑誌で連載されてる時の流れの魔法だね.

  • 武田日向「異国迷路のクロワーゼ」

あるフランス人を見て,例えば僕が知ってるフランス人はほとんどオタクであるので,フランス人とはそういうものだって僕は言うけど,そりゃ話の種には面白いと思ってるのだけど,個人が文化を代表するって,やっぱないわけで.ユネはどうやらええとこのお嬢さんであって,フランス人は彼女を日本人の典型と見るけれど,どこかに奉公するような家柄ではないはずの彼女が奉公人として振る舞っている,その彼女の日本人感には偏りが窺える.結果として,日本とフランスの文化差ではなく,偏ったサンプルによる個人の差異の話になっているところが好み.

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