接テレ使いの恋

ななかは接触テレパス連打するので,困ったやっちゃなー,まぁ中3だし仕方ねぇかー,と思ってたのだけど,この人ずっと見てたら相手の思考が読めたところでそれでうまく立ち回れている訳ではないので,どんくさいなー,ままならんなー,と思う度合いのほうが大きくなってきた.

という感じで引き続き読んでいたのだが.

それからなの.うまく立ち回れるようになったのは……

馬鹿言え.立ち回れてへんやろう.嫌がらせされてたやん.

苦しいところにいるこの人は,立ち回れてる,という思いこみにこそ支えられていたのだなぁ.

ええと.心の理論の出発点のひとつとしてはこのへんの話.ここより先にゆくととたんに実験という方法では困難な感じがするのだけど,それはそうとして,人が他の人の考えることを類推できるというのはある範囲において確からしいと思える.じゃあどの範囲かってとこでおっきく足を滑らせると,わたしには人の気持ちが判らない,という考えに取り憑かれる.それは割とテレパシーという形で化けて出てくる.

じつは,テレパシーによって判る内容の正しさよりも,テレパシーによって相手の気持ちが理解出来ている,という自信のほうが,人にとって支えとなるのかもしれないね.というか,たぶんそう.僕らみんなそういう妄想を抱いた出来損ないのテレパシストであって.君に届け,テレパシー.

びびびびび.

白河ななかという人の苦しいとこは「接触」テレパシストであるところにもあって.接テレを連打するこの人はおかげで男たちからは気があると誤解されるわけだけど,誤解されるっていうことはつまり触れることによって伝わる気持ちもあるってことで.しかしこの人,触ることが接テレのための手段になってしまっていて,触ることそのものの心地よさもよくわかんなくなってたのだろうなと.なんでよりにもよって接触テレパス,と思いました.

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