カーディナルの赤,座主の黒.

疏水は市内に入って南北へ分かれ,北行きは松ヶ崎,南行きは伏見まで縦に貫く.疏水の岸辺はおよそ桜が手を広げている.北行きは哲学の道,銀閣寺道が名所であるが,季節には観光客で一杯になる.静かに散策するならば松ヶ崎から西行する水路が良い,これを西行桜と呼ぶ,などと花見の酔っぱらいが.

千鳥足で西へ向かった疏水分線は賀茂川の下をサイホンで潜り,堀川へ流れ込む.いや,かつては流れ込んでいた.いま再び工事があって賀茂川の傍にサイホンの口がついている.ちょろちょろと抽出された疏水は紫明通りの公園を抜け,南向きの堀川へ合流する計画だという.

京都の桜はみんな南へ流れてゆく.

伏見に墨染という土地があり,南へ流れた桜の終着点となっている.墨染の名は桜の寺として知られる墨染寺に由来する.さらに言うならば伝説による.平安時代に詠まれた友人の死を悼む歌で,深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け,桜は詠み手に応えたのか薄墨色の花を咲かせたと言う.桜に死生を感じる心は薄紅色に咲き誇る姿があってこそと思われるが,ここではむしろ墨染めの僧衣を連想させる色が悼む気持ちへと繋がっている.

桜の花は何色だろうか.桜といいながら桃色のものもあれば,薄墨桜のように散り際,白地に薄く墨色が混ざる場合もある.僕が絵に描くときはいつも赤を強くしてしまうので,僕にとって桜は赤い.だから,桜が墨染めのように咲く,と聞いたときにはかなり考え込んでしまった.墨染めといえば百人一首であって,おほけなく憂き世の民におほふかなわが立つ杣に墨染めの袖.比叡山に立つ天台座主慈円の,京の市中を静かに大きく包み込む宗教者らしい守り手の袖の色で.だから桜の色とはにわかに結びつき難くて.

墨染寺の縁起を知ったときに強い違和感があった.桜が赤いということが疑わしくなった.

宗教者ということで枢機卿の深紅と天台座主の墨染めを並べてみれば,桜はずっと後者寄りだ.桜というのは彩度であって,彩度の低い,つまり白や灰色の多く混ざったところに魅力がある,ということだろうか.桜に墨染めをあてがう感覚はそこにあって,極端な話,彩度の低い色であれば緑でも青でもそれは桜のような花であって,僧衣にこと寄せて人の死生について思いを馳せるということがあるのかもしれない.

あるいは真っ黒な桜,灰色の桜も桜の化身のひとつかもしれない.

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