カメラ!カメラ!カメラ!

ギャルゲーの絵に時々感じてしまう印象としては,三次元の空間があって,その中にいる主人公の目の代わりに置かれたカメラの撮る絵が画面に映ってる,てのがあるけど,これはちょっと騙されてる分には問題ないけど文字通りに受け止めるとギャグになる.

というのはSNOWと暗黒SNOWがやって見せたことだった.対面してる相手の口から飛んだ米粒が顔にこびりつくときに,画面にいっぱい米粒がつくのであるが,これは人間の目ではなく目よりも口径の大きなカメラを置かなければそうはならない絵である(目に米粒はこびりつかない).雪玉が顔にぶつかる絵も同様だ.そこには主人公ではなくまんまカメラが置かれる.

暗黒SNOWで歩行とカメラを連動して見せたのも良かった.澄乃という人は数歩あるくたびに転ぶのであるが,顔を雪の地面にぶつけているのだろう,それに伴って絵のほうも真っ白になる.半分ギャグであるが,あれは澄乃という人を理解する上で欠かせない体験でもあった.映像作品でカメラに身体性を持たせること,つまりカメラの動きを人間の目の位置と動きに連動させるのは,特殊な効果を狙うのでなければやらない.人間の顔と目がじっと静止していることは普通ない.酔うってば.

カメラの在り処なんて忘れたほうがギャルゲーの絵は面白い.特に奥行きなんてのはべたっと描いても素朴な絵ができるだけだ.

これは一例に過ぎないけど,D.C.IIの見返り会話も明日君の歩行会話も,想像できる彼らの妥当な立ち位置を考えればありえない向きに空間が曲がってるのだけど,そっちのが面白い.キュビスムみたいに三次元の視点が二次元の絵に織り込まれていて,僕らの目にはそこに女の子が浮かび上がってる.

レンズ放り投げて
そして全て終わるはず

そしてきっと3秒よりも長く,少女を絵の中に留めて.

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